自然科学書出版  近未来社
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活断層系 −大地震発生とマイクロプレート−

あとがき

 あの悪夢のような阪神・淡路大震災から,私たちは内陸地震の恐ろしさを改めて実感させられるとともに,自然の猛威のまえでは,豊かで便利な大都市での生活が如何に脆いものであるかを思い知らされた。私は20年以上にわたり“断層と地震”を研究してきたが,断層の活動による地震がこのような大災害を誘発するとは実感としてとらえていなかった。この大震災を目のあたりにして,これまでの安易な研究態度を反省するとともに,この地震を契機に,新たな視点から断層と地震に関する研究に取り組まなければならないことを痛感している。

 兵庫県南部地震の発生は,断層運動と地震発生の因果関係に関するこれまでのモデルが不十分であったことを意味していた。加えて,そのモデルに基づいて地震の危険度を評価する方法の見直しを迫ったことは否めないであろう。1948年福井地震から約50年間,つかのまの静穏期であった。その間,活断層の存在に関する情報は著しく増加したが,残念ながらこれまで得られてきた活断層と地震の因果関係に関する知識は,兵庫県南部地震の発生を充分に予測するものではなかった。既存のモデルやそれに基づいた地震の危険度評価法を見直す切っ掛けとしては,今回の阪神・淡路大震災はあまりにも大きい代償であった。これまでに2冊の著書を著して,断層と地震に関する私の考えはすべてその中で述べたつもりでいた。ところが兵庫県南部地震に誘発された阪神・淡路大震災を省みる時,この地震発生に関する私なりの考えをまとめておかなければならないと思うようになった。これが,本書を著そうと思った切っ掛けである。

 今回,大きな犠牲を伴ったこの地震から,地震と断層に関する貴重なデータが得られた。これらのデータをいたずらに既存のモデルに当てはめ,これまでのモデルに固執することなく,新しい視点から地震発生と断層活動をモデル化していく必要がある。本書から,少しでも新しい視点を提示したいとする著者の意図を読み取って戴ければ幸いである。
 私たちの寿命もせいぜい100年程度であり,構造物についても種類によるが,その程度の耐用年数である。したがって,私たちの生活にとって,100年以上の誤差のある断層活動年代は,ただ起きるか起きないかの意味しかもたないことになる。このような意味でも断層の活動性を評価しようとする場合に,厳密な年代論が必要となってくるのである。

 一方,兵庫県南部地震の発生によって,南海トラフで起きる地震の危険性が高まった。今後,数十年を考えた場合,内陸地震よりも南海トラフで起きる巨大地震の発生が危惧される。この巨大地震の震源は従来指摘されてきた駿河湾だけではなく,東海道から南海道にかけて広い範囲に及ぶ恐れも指摘されている。
 今後も活断層を個々に取り上げて研究することの重要性は指摘するまでもないが,その活断層を断層系(構造線)の構成要素として位置付け,巨視的な視点から捉え直すことも忘れてはならないであろう。また,大ダムや高層ビルなど大規模な構造物の耐震設計上の基礎資料を得るためにも,ここで提示したモデルや地震危険度の評価方法を検討していくことが望まれる。
 本論で述べてきたことには,私の独断的な思い込みや一面的なところも多くあると思われる。今後,断層と地震の関係を新たな視点から捉え直す研究や調査の切っ掛けとして,多くの方々の議論のたたき台として活用して戴ければ幸いである。

 地震災害を軽減するための切り札として地震予知が期待されている。次に起きる地震が予知できれば,地震被害は劇的に軽減することが期待できる。しかし現状では,地震予知は不可能であるという見方も少なくない。そのような中で,ギリシャでは地電流によるVAN法で地震予知に成功したことが報告された。この情報をいちはやく入手された上田誠也先生は,東海大学地震予知センターの長尾年恭さんと一緒に,地電流による地震予知研究に取り組まれている。今年の6月に上田誠也先生は理化学研究所が実施する地震国際フロンティア研究プログラムのリーダーとして,地電流による地震予知プロジェクトを始められた。
 6月の始めに東京大学地震研究所で開かれた委員会の帰りに,長尾さんに誘われて上田先生のお宅へお邪魔することとなった。ゆっくりとお話をお伺いする初めての機会が得られた。夜半まで酒を飲みながら研究に関する話に花が咲き,先生の研究観に触れることができ,実に幸せな楽しい一時を過ごすことができた。先生は,『現役の研究者としての最長寿記録を作りたい』,とおっしゃっていた。この言葉が,私の記憶に強く残っている。これまで,私は40歳を過ぎる頃から研究者としてのポテンシャルが下がると思っており,一方ではそれを自己怠慢の言い訳としていた。先生の言葉を聞き,なお一層努力しなければと思い,本書を執筆しようとする意が堅固になった。〈以下,略〉

 1996年11月
金折 裕司