自然科学書出版  近未来社
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地質のフィールド解析法

まえがき

 野外地質調査の基本は,フィールドワークにつきる。その手法は,古くから徒弟制度のように各大学や研究所で代々伝えられてきたものであり,時間も労力もお金もかかるものであった。地学の教科書にあるように,マッピングをして地質図を作り,断面図や柱状図の作成を行うのが常套手段であるが,その方法も地層の年代や状態によって微妙に異なっている。つまり日本では堆積屋さんは,第四紀の地層のような水平層であれば,各露頭で直接柱状図のデータだけを取り,マッピングは必要ないと言う。
 日本のような変動帯にある中・古生層のように,地層の傾きが大きく,場合によっては逆転しているような地層では,従来の古典的手法が有効であると構造屋さんは言い,また緩く傾斜している第三紀層のような地層であれば,柱状図のデータを取りながら,地質図を同時に作成することもできると化石屋さんは言うかもしれない。
 北米大陸のロッキー山脈やヨーロッパ大陸のアルプス山脈のように,誰が見てもすべての露頭がむき出しになり,広く眺望がきく地層では,日本のような思想図たる地質図を作る必要はない。また最近では,Google Earthを使えば,北米東部のアパラチア山脈や中近東での褶曲山脈の様子を衛星画像として瞬時に世界中を飛び回って見ることが可能となった。
 日本のように植生の影響ですべての露頭が連続して見られず,とびとびに現れているような場合は,従来の野外地質調査の方法では,地質図を作成する段階で,作成者の思想または意図が入り込むことになる。つまり,鍵層が隣の沢や林道で連続して追跡できない場合に,推定断層とするのか,褶曲で曲がっているためにずれているとするのか,乱堆積による巨大な礫として不連続であると表現するのかは,地質図の作成者に任されることになるという意味で,思想図なのである。頭の賢い地質屋さんは,フィールドをくまなく歩かなくても,先達の作成した地質図や他人のデータをコンパイルして,簡単に自分に都合の良い地質図を作成できるだろう。
 しかし,我々が信頼する先達者の地質図とは,正確な岩相分布図である。なぜならば,走向傾斜や化石の記号が記してある場所は,必ずその場所までその人が時間をかけて自分の足で歩いて見ているからである。従来の調査法は,現代では労力と時間がかかりすぎて,地質図を作成する目的で調査を実施している地質調査所のような専門機関以外は,なかなか実施することは困難な時代となったのも否めない。しかし,綿密な計画のもとに,人海戦術で10年以上のスパンをかけて行った野外地質調査であれば,正確な岩相分布図としての記録が残るので,その結果をひっくり返すことは容易ではない。また,この結果作成された地質図をもとに,露頭条件の最も良い場所を選んで,詳細な柱状図を作成したり,目的の化石を採取したり,また堆積構造や変形構造などの地質構造解析あるいは岩相解析や堆積相解析,シーケンス層序の構築を行うこともできる。
 私の指導教官であった佐藤 正先生(現深田地質研究所理事長)は,ジュラ紀アンモナイトの大家である。フランスでの研究生活から構造地質学が重要であることの認識を深められ,日本に戻ってから構造地質の研究を行い,当時開学されたばかりの筑波大学で指導教官をしていただいたのであるが,私はあまり教授の言うことを聞かない学生であったと思う。教授の教えに従って,足尾山地の地質調査を行っていたのであるが,調査をすればするほど,教授の目指す結論から離れてしまい,逆にそのことがその後の私の博士論文のテーマとなった。佐藤研のゼミでは,夏に1週間ほどの野外調査の合宿があり,毎年テントを張り自炊して行う地質調査は楽しみでさえあった。 
 私が大学生の頃に,欧米から10年以上も遅れてようやくプレートテクトニクスの話がまともに議論されるようになったが,その当時はまだまだ地向斜論も廃れておらず,プレート論者に反対する先生方や学者も多くおられた。しかし,当時プレートの話を盛んに学生に吹聴しておられたのは,まだ若かりし新進気鋭の講師の増田富士雄先生(現同志社大学教授)であった。増田先生は,堆積屋さん?であったが,構造地質学専攻の私や,鉱床学専攻の中野孝教さん(現人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授)や層序学専攻の伊藤 慎さん(現千葉大学教授)のように異なる指導教官に属していた学生の面倒もよく見られていた。その堆積学専攻の学生の一人に桂 雄三さん(現文部科学省文化庁)がおり,房総半島の下総層群の地質調査を行っていた。千葉県養老川に分布するタービダイトを主体とする地層などの柱状図取りにたびたび同行した。現地で,まだ日本では珍しかった堆積相解析の仕方を教わったが,その小道具として今では当たり前となっている「捻り鎌」を世界で初めて使用したのである。
 「捻り鎌」は,第四紀の地層のように未固結層の断面を簡単に削いで整形でき,当時使用されていたスコップや先端の平らなハンマーに比べて,地層の堆積構造を詳細に観察するにはもってこいの道具であった。桂さんは,この「捻り鎌」一本で,房総半島を原付で走り回って下総層群の堆積相解析を行い,博士号を取得された。この小道具は,桂さんが博士号を取得するまでの極秘事項であった。増田先生は,学問で重要なことは,新たな地質モデルの構築と改修であると言われた。その言葉は,その後の私の地質学を考究するうえでの力強い心の支えとなったのである。。
 現在は恐竜の足跡研究の大家でもある松川正樹さん(現東京学芸大学教授)とは,10年以上の長きに及んで東京学芸大学の学生や院生の協力を得て,岐阜・福井・石川・富山県にかけて分布するジュラ〜白亜系の手取層群の調査を行ってきた。今年が調査の最後の年であると松川さんが宣言されたのは残念であるが,夏の合宿調査の中で,野外地質調査における大切なことがらを多く学ぶことができたのは幸せであった。また,この調査と相前後して,「広尾研究会」なる教員グループが主体となり,東京郊外で多摩川周辺の第四紀の地質調査にも参加できた。多摩川の河床では,陸成層から海成層への堆積相の変化が見られ,それらの地層が示す堆積構造やゾウやシカなどの足跡化石・直立樹幹化石などが豊富に観察でき,東京都下で子どもや学生を連れて安全に地質巡検ができる数少ないポイントであり,皆で楽しく歩きながら調べることができた。
 このように,私の専門であった構造地質屋のみならず,堆積屋さん,化石屋さんなどの多くの熱意ある先生方に恵まれたおかげで,門前の小僧よろしく興味を持って野外地質調査を行うことができた。また現在,赴任している岐阜県周辺の中部地域でも,高校で地学の教諭をされていた鹿野勘治先生(現岐阜聖徳学園大学非常勤講師)の案内で,美濃地域の新生代の露頭に案内していただき,自ら疑問が湧けば目的意識を持って,地質調査に訪れる機会に恵まれた。単に仕事上での調査であれば,おもしろくもないので長続きもしないが,疑問を解決するための野外地質調査は存外に楽しく,疑問が解決されたときは,皆でその喜びを分かち合って楽しむことができる。
 本書の目的は,野外地質調査の基本事項を一から説明することではなく,それらの基本的な技術はすでに体得している大学の学生や応用地質の研究者や技術者を対象として,これから実践的な地質解析法として応用できる実例をもとに書かれたものである。地質学の先生方が書かれた野外地質調査に関する良書は山の如く存在するので,基本的な技術に関してはそれらを参照していただきたい。本書は,今までに筆者が経験してきた中から,単純な手法で地層が経てきた経歴を解析しうる方法や,地質調査の応用実践に関する事項のみを記し,従来の野外地質調査法の利点を生かした古典的調査法から話を始めた。
 本書が,これから研究者として野外地質調査を目指す若い人たちの役に立ち,これから野外地質調査を行ってみようと思う学生が増えれば,望外の喜びである。まずは,先達の手法に習って野外地質調査を行うことをお勧めするが,研究者として独り立ちするまでには,自分なりの手法を体得して後世の若者に伝えていただきたい。また,新たな独創的手法を開発して若い研究者や技術者に伝達することができれば,さらに野外地質学の創造的発展性が期待できるものと信じている。
 2010年5月
青野 宏美