自然科学書出版  近未来社
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深層崩壊 −どこが崩れるのか−

まえがき

 私は,2002年に「群発する崩壊−花崗岩と火砕流」,2007年に「崩壊の場所−大規模崩壊の発生場所予測」を執筆した。前者はいわば表層崩壊,後者は深層崩壊を対象としている。「群発する崩壊」では,個々の表層崩壊発生危険場所を特定することはあきらめ,地質と地形による大まかなゾーニングをすることの理論づくりをもくろんだ。「崩壊の場所」では,大規模崩壊の発生した場所の地質的地形的特徴について述べ,それらによって発生の場所を探すことを指向した。この大規模崩壊は,本書の「深層崩壊」とほとんど同義であるが,しいて言えば,大規模崩壊は平面的な広がりに意識がある場合,深層崩壊は断面的な広がりに意識がある場合に用いられると言える。「崩壊の場所」は,あとがきに次のように書いて締めくくった。「発生した場所の原因を後付で見出すことはできたが,まだ,本当に白紙の状態からそれらを見出すことが可能である,というところまでは残念ながらたどり着いていない。これは肝に銘じておきたいと思う。いつまでも発生した後に発生した理由を探すのではなく,実際に「使える」ところまでたどり着かなければならない。今言えることは,大規模な崩壊が発生した ところには,必ず地質的な要因があり,わずかであるにしても地形的兆候があったこと,そして,この宿題には航空レーザースキャナによって回答できると私が確信していることである」と書いた。その4年後,2011年の台風12号の甚大な災害を経て,この宿題に対する回答がほぼ得られたように思う。前著「崩壊の場所」で紹介した「地形調査の革命児航空レーザー計測」は立派な大人に育ち,それを活用することによって深層崩壊の発生危険場所がほぼわかるようになった。これが本書を執筆しようと思った一番の動機である。

 もう一つの執筆動機は,自然の猛威ともいうべき深層崩壊も,その発生の背景には悠久の大地の営みがあること,そして,深層崩壊をその一過程として考えると,その発生場所も大体めどをつけられることがわかってきたことである。紀伊山地では,世界遺産にふさわしい美しい山並みと深層崩壊とが密接に関係していて,ほとんど瞬間的な深層崩壊も長い間の地形形成過程の中で,起こるべきところに起こるべくして起こっていたことがわかった。また,2011年東北地方太平洋沖地震によって福島県から栃木県北部で発生した崩壊は,火山の噴出物に発生し,特定の地層が分布するところに発生したことがわかった。つまり,これも火山の噴火の歴史を紐解くことによって大まかな発生危険個所を見つけることができる。私たちは,単に深層崩壊におびえるのではなく,きちんとした理屈をもって危険な場所を探し,また,安全で安心できる場所を見つけることができるのである。

 2009年の台湾小林村の深層崩壊とその報道を契機に,深層崩壊についての関心が急速に高まった。これは,たった一つの崩壊が一瞬にして村を壊滅し,400名以上の命を奪ったものである。その後2010年6月27日に放映されたNHKスペシャル「深層崩壊が日本を襲う」では,小林村の深層崩壊が詳細に分析され,また,我が国の現状が紹介された。さらに,翌年2011年9月には,台風12号によって紀伊山地に多数の深層崩壊が発生し,約70か所では体積が約10万m
3を超えると推定された。これによって10か所以上で天然ダムの形成と河道閉塞が起こり,天然ダムのあるものは直ちに決壊し,残ったものでは決壊が強く懸念され,緊急の対応が実施された。これは現在も継続していることである。2012年2月には,京都大学防災研究所の特定研究集会「深層崩壊の実態,予測,対応」を開催した。この集会には,170名の参加を得ることができ,深層崩壊が多くの人の注目を浴びていることが再認識された。その後,紀伊山地の台風による深層崩壊と東日本大震災時の崩壊を主題としてNHKスペシャル,「崩れる大地」が同年の9月2日に放送され,この番組では私たち の研究も大きく取り上げていただいた。

 深層崩壊は決して新しい現象ではないが,新しく脚光を浴びるようになったことにはいくつか理由がある。1つは,深層崩壊は,大規模で時速100kmをも超えるような急激な土石の移動を伴うものであるが,その発生場所も発生時も予測手法が確立していないことである。第2には,深層崩壊は古くからある現象にしても,近年頻発しているようであり,さらに,それを引き起こす極端な気象が地球温暖化と関連して増加することが懸念されていること。第3には,深層崩壊の多くが我が国の対策事業の法的枠組みから漏れていることである。土砂災害に対して,わが国には明治30年の砂防法に始まる法律とそれに基づく対策事業があるが,これらは,傾斜30゚以上,高さ5m以上の斜面の表層崩壊,緩慢な動きの地滑り,および土石流を対象としている。そのため,深層崩壊は現在の法体系では対策事業の対象となっていない。この意味では,深層崩壊が今までにない新しいタイプの崩壊,という表現もあながち誤りではないと言えよう。

 深層崩壊は発生頻度は低くてもその影響が極めて大きいことから,実態を明らかにして何らかの対応を考えていかなければならない。我が国の7割は山間地なのである。都市に住んでいる人は山間地で起こることに無関心でありがちだが,決して他人事ではないことを十分認識しておく必要がある。人口密集地帯のすぐ近くには山地が控えており,いつ深層崩壊・天然ダムの形成,といったことがおこり,都市部が脅威にさらされるかわからない。深層崩壊は甚大な災害を引き起こす。それは,土石の直撃だけでなく,土石の河川への突入場所から何百メートルも遡上する津波,そして,天然ダムが決壊した時の下流への洪水による災害である。上流方向への津波の波及は,台風12号による崩壊が津波を引き起こして上流の水力発電所を破壊したことに端的に表れている。2008年の中国ウェンチュアン地震では,30を超える天然ダムが形成され,最大の唐家山地すべりの場合には,その決壊洪水を恐れて,下流の綿陽市で100万人が避難した。1707年の宝永地震の時には,富士川で天然ダムが形成された後に決壊し,下流に洪水災害を引き起こした。このように,都市部といえども深層崩壊と無縁ではないのであ る。これは,1000年の都の京都も含めてのことである。

 深層崩壊は地震によっても発生するが,雨で起こる深層崩壊の場合には,天然ダムが形成されると,川が豪雨で増水しているために短時間で満水・越流する可能性が高い。実際,台風12号による深層崩壊の場合,熊野川本流に形成された天然ダムは短時間に決壊し,相対的に小さな集水域を持つ支流に天然ダムが残った。1889年の十津川豪雨災害には,多くの天然ダムが形成され,決壊して下流の和歌山県側に甚大な洪水災害を引き起こした。また,この時にも津波が天然ダムの上流側にも押し寄せている。地震で発生する深層崩壊も天然ダムを形成するが,この場合,豪雨で発生したものと比べて移動土石は乾燥しており,その安定性は相対的には高いと思われる。また,池が満水になるまでの時間は降雨によって発生した場合よりも長くなる。もちろん,豪雨と地震とが複合して発生した場合には,災害規模は遥かに大きくなるであろう。

 「深層崩壊」の用語は,それと類似した用語である大規模崩壊や巨大崩壊の用語が意味するところを考えると理解しやすい。後二者は,いわば平面的に見て規模(面積)が大きいことに注目したものである。おおよそ10万m3以上の崩壊が大規模,100万m3以上が巨大,と言われているのが一般的であるように思えるが,これらは厳密に定義されたものではない。これらの用語に厳密な定義がないことは衆目の認めるところであろう。しかし,これらは「規模が大きく,移動速度が大きく,その被害も甚大である」ということを容易に想起させ,“便利な”用語であると言える。これは日本だけの事情ではなく,英語圏でもlarge landslide, gigantic landslideはごく一般的に用いられている用語であるが,いずれも明確な定義はない。「深層崩壊」も,本質的にはこれらの用語と同じである。違いは,平面的な広がりではなく,断面的な広がりに視点をおいている点である。深層崩壊は表層崩壊と対になった用語であり,「体積が大きいとともに,斜面表層の風化物や崩積土だけでなく,その下の岩盤をも含む崩壊で,地質構造に起因したもの」であることを特徴としている。深層崩壊を強いて定義するなら,こうなるであろう。この場合も,大規模崩壊や巨大崩壊とともに,やはり,その規模に明瞭な閾値は設けにくいのであえて含めていない。また,風化物や未固結物質の地質構造に起因した崩壊は,表層崩壊と深層崩壊の中間的なものになる。深層崩壊の用語は,このように,漠然とではあるが,“便利な”用語として用いることが実際的のように思える。英語圏のdeep-seated landslideも,厳密な定義はないが,ごく一般的に用いられている用語である。私自身,2006年に土木学会からの依頼で執筆した論文の中で,表層崩壊に引き続いて「深層崩壊」の見出しを何気なく使っていた。

 本書の第1章では,深層崩壊が火砕流や活断層のように衆目の意識する契機となった2009年台湾小林村の崩壊について述べよう。小林村は台湾南部の高雄県にある先住民族の村で,台風モラコットの豪雨時,たった一つの崩壊によって壊滅した。小林村でもハザードマップは作成されていたが,日本同様に深層崩壊は考慮外であった。しかし,後からではあるが,調査の結果,この深層崩壊発生場所はおそらく地形的に危険個所として予測できたであろうことがわかった。小林村の崩壊の2年後には,台風12号が日本を襲った。

 第2章では,台風12号による紀伊山地の深層崩壊について,できるだけ多くの事例を挙げて記述する。これらの深層崩壊は戦後最悪の豪雨山地災害と言われる甚大な災害をもたらしたが,同時に,それらの発生場所が予測できるという見通しを私たちに与えてくれた。発生前の詳細地形データが航空レーザースキャナによって取得されていたため,合計39か所の深層崩壊の発生前について,従前の航空写真観察とは比較にならない詳細地形を観察することができた。そして,その結果,これらの66%,26個の崩壊は,いずれも発生前に小規模な崖が頭部に形成されていたことが明確になったのである。残りの深層崩壊地も1か所を除いて危険個所とみなせるものであった。つまり,遡って言えば,発生した97%の深層崩壊は事前に予測可能だったであろうことがわかったのである。単純ではあるが研究の大きな進歩である。

 第3章では,紀伊山地で発生した深層崩壊の背景となった「熊野」の景観について述べ,地質的長期間の地形発達過程が深層崩壊発生の素因を作っていること−古い地形面を新しく河川が削り込み,その結果足元を切られた斜面が不安定になっていくこと−について述べる。そして,そのような考え方に基づいて深層崩壊危険度を領域評価することが可能であることについて述べよう。また,このような現象が,紀伊山地だけでなく,四国,九州,さらには台湾でも見られることを紹介する。

 第4章では,斜面の内部の現象について,つまり,第3章で述べたような川の侵食に伴って岩盤がどのように変形し,深層崩壊あるいは地すべりに発達していくのか,近年発達した高品質ボーリングを使用して明らかになったことを説明する。そして,斜面の内部の構造的発達と,第2章で述べた地表形態である小崖の形成とが一連の現象であることを示す。
 
 第5章では,近年最悪の山地災害となった中国四川省のウェンチュアン地震による斜面崩壊について述べる。この地震に伴って270kmにも及ぶ地震断層が出現し,それに沿って崩壊が密集して発生し,69,134人が死亡,17,681人が行方不明となった。この災害は日本の東日本大震災の中国山間地版だったと言えよう。

 第6章では,我が国の地震記録史上最大のマグニチュード9を記録した東北地方太平洋沖地震による崩壊性地すべりについて述べ,その原因が火山の噴火史に密接に関係していること,また,それと類似した崩壊が国内外で多数発生してきたことを示す。第8章では,最終章として,深層崩壊の発生場所の予測方法についての私見をまとめる。前兆的な地形を伴わないものは,崩壊物質自体の分布から推定する考え方を述べる。また,多くの深層崩壊が,地震によるものも降雨によるものも事前に重力で変形した斜面で発生することから,どのようなタイプの重力斜面変形が深層崩壊に移る危険性が高いのか整理する。最後に付録として,ヨーロッパアルプスの重力斜面変形と深層崩壊の事例を紹介して,我が国の事情と比較したい。氷河の有無は景観とともに深層崩壊の発生にも大きく影響している。

 それでは,深層崩壊発生危険個所,今度こそそれを探しに出かけよう。日本の山は決して危険なところばかりではない。