自然科学書出版  近未来社
since 1992
 
写真に見る 地質と災害 −応用地質の見方・考え方−

まえがき

 災害は突然やってきました。2014年(平成26年)8月20日の朝のことです。その前日まで,あちこちで強い降雨があったということは報道されていましたが,大変な災害というほどでもありませんでした。ところが,朝起きてニュースをみると,広島で大変な豪雨災害が起きていたのです。山際まで迫っていた住宅地が,山から来た土砂に襲われました。犠牲者は合計74名にものぼり,近来稀に見る都市域の大土砂災害となりました。

 広島市は,1999年にも豪雨に襲われ,死者30名を含む大変な災害を経験していました。そして,その前年の1998年福島県南部の豪雨災害とこの災害とが契機になって土砂災害防止法が2000年に制定され,2001年から施行されました。この法律は,それまでのハード対策を主体とした砂防法,地すべり等防止法,急傾斜地法等とは異なり,あらかじめ土砂災害(土石流,地すべり,急傾斜地の崖崩れ)に対して警戒区域,特別警戒区域を設定し,地域防災計画に反映し,また,土地利用も規制するという新たなものです。それ以降,各都道府県によってこれらの区域が調査・指定されてきました。その途上で,ほぼ15年目にあたる時に,前回の被災地に近いところで,それを上回る被害が発生したのです。しかも,警戒区域や特別警戒区域の指定が終了せず,調査の結果危険であるとわかっていても,特別な指定がされていない広い範囲が被災してしまったのです。調査の結果,警戒区域あるいは特別警戒区域に相当すると明らかになっても,それと指定するには市町村の了解を得る必要があることから,不動産価値の低下といった危惧もあり,なかなか指定が進まなかったという背景もあります。それでも,2014年 に広島で被災したところは,少し地質学的な知識があれば,もともと繰り返す土石流によって形成された大地であったと理解できるところでした。

 本書のタイトルにある地質災害は,広く考えれば,地球で起こる様々な地質現象によって引き起こされる災害をすべて含みます。ここでは,地震活動そのものや火山活動そのものは扱いませんが,それらの現象や降水によって引き起こされる岩石や未固結物質の移動に伴って生じる災害を地質災害として扱います。地震活動や火山活動については,2008年に東京大学地震研究所から出版された『地震・津波と火山の事典』に詳述されています。地球の内部と動きから始まり,地震とは何か,地震動,津波,火山とは何か,および火山噴火にかかわる諸現象について,丁寧に語られ,これらに関する正確な知識を身につけられるように構成されています。そのまえがきに,「結局のところ,日本人の大部分は中学校の1年生でならった地震や火山についての知識を更新することなく社会人になるのである。(中略)本書は地震,津波,火山に関する基本的な知識を一般的な人々に身につけてもらうことを目的に作られた」とあります。一方で,地震と火山に関しては,学術審議会から国への「建議」があり,それに基づいて着実な研究が進められているのです。それに対して,地すべりや山崩れに代表される地質 災害や豪雨,洪水,暴風などの災害に対しては,火山や地震におとらず大切であるにもかかわらず,研究面や教育面の扱いは十分とは言えません。膨大な対策予算がつけられてきたにもかかわらず,です。ようやく2014年度から,地震火山噴火予知に関する研究計画が見直され,「災害誘因」として地すべり等が研究計画の中に位置づけられました。災害誘因というのもわかりにくい表現ですが,災害を引き起こす現象といったところでしょうか。わが国では,地震動による災害が大きいのは確かですが,地震の研究だけしていても,地震による災害を軽減できないことが再認識されたと言えるでしょう。同様に豪雨の研究だけしていても豪雨災害を防ぐことはできません。豪雨は災害の原因ではありますが,実際に災害を引き起こすのは洪水や斜面崩壊・土石流といった現象だからです。

 教育課程で考えると,運が良ければですが,地震や火山は小,中,高,大を通じて「地学」あるいは「地球科学」で教育されますが,地すべり,山崩れ,洪水などは,小学校や中学校で,地層や川の働き,の部分で少しだけ登場するだけで,その後はほとんどフォローされることがありません。大学課程の地球科学で,これらの内容が教えられる機会は極めて少なく,また,農学の砂防関係や工学の地盤関係で教えられるにしても,その内容はかなり工学的であり,工学的対処の前の現象自体の理解という点では頼りになりません。さらに,実際にこれらの災害に対して防災実務にあたったり,行政で意思決定したりする人たちには文系の教育を受けた人が多いのですが,これらの人の知識は自ら求めない限り,中学校のままかも知れません。

 我が国は世界で最も地質災害を受けやすい国の一つであり,先進国の中ではまぎれもなく世界一です。一方,ヨーロッパの国々や北アメリカの大部分は日本と比較にならないほど安全です。そのような国の教育システムをそのまま持ってきても,我が国にはミスマッチなのです。また,これと同様に我が国のように狭い国土で,土着意識の強い民族性のところで実施される“国土強靭化”策を,少ない予算でやりくりしている国に持って行っても使えるはずがありません。お金をかける前に,まずは,相手を良く知って危険から逃げることが得策なのです。実際に災害の対策にかかわる人,意思決定をする人,このような人たちに是非地質的見方を知ってほしい。また,一般の人たちに足もとの地質のことを知ってほしい。地質学は決して夢物語の好きな人だけのものではない。こんなことがいつも私の頭の中を巡っていました。

 本書を書き始めたきっかけは,授業中の学生の発言でした。私は平成9年以降,京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻で「災害地質学」の授業をしています。これは,色々な地質災害を理解するための基礎的な内容を学ぶためのもので,岩石の種類,構造,岩石や土の物理・力学的な性質,風化の科学・物理学,斜面移動の様々など,文字通り基礎的な内容です。しかしながら,これらを始めからA,B,Cと順序立てて教えることを考えると,学生たちのつまらなそうな顔と居眠りする姿が目に浮かびます。ということで,これらに入る前に最近の様々な災害を事例として,どんな災害だったか,それを理解するにはどのようなキーワードがあるか,どんなことが大切なのか,といったことを4時限くらい話すことにしています。この話をしながら,学生の様子をみていると,「え,本当?」「そうなんだ」などといった反応を受け取ることができます。意外と,「そんなの当たり前」,という顔をみかけません。私が話しているのは,本文を読んでいただければわかるとおり,難しいことはなく,当たり前のことばかりです。ただ,「普通の」地質学,地球科学を勉強している人とはかなり違う視点からもの を見ていることから,学生にとっては新鮮なようであることに気が付きました。そんな中で,「一通りキーワードがでそろったところで,それをきちんと理解するために教科書『災害地質学入門』を使って授業します」と言ったところ,韓国からの留学生が,「え,教科書に書いてあるのは難しそう。ここまでの話が載っている教科書があると良いのに」と発言したのです。

 本書は『災害地質学入門』の導入部であり,入門のさらに入門ということになります。しかし,考えてみると,この導入部だけで色々な災害に対する地質的考え方は十分に感じ取っていただけるようにも思えます。もし,それからもうちょっと深く理解したいと思われたならば,色々な書籍や『災害地質学入門』を手にとってください。『災害地質学入門』は1998年に執筆したものであり,すでに17年経過してしまったのですが,改定の必要な部分は多くありません。学校で習った地学というと,たいていの人は暗記科目だった,という印象を強く持っているのではないでしょうか。確かに色々考える上で,鉱物,岩石,時代,地層など様々なものの名前が出てきます。もちろんこれらの名前をきちんと知っているに越したことはありませんが,知らなくても根本的なところを理解することは十分にできるのです。例えば,岩石の名前は色々ありますが,まずは堆積岩,火成岩,変成岩,といった大まかな分け方でも十分に役立つ場合も多いのです。正確な岩石の名前よりも,それがどうやってできたのかを理解すれば事足りることも多いのです。堆積岩は,どこか別のところから運ばれてきた砂や泥や生物の 遺骸,あるいは化学的な沈殿物が積もったものです。したがって,本質的な性質として層構造を持つし,数百度に及ぶような温度は経験していません。これだけからも,トランプを傾けた時のように,地層を傾ければすべりやすいだろう,とか,火で焼けば他の物に変わってしまうだろう,ということに思いをはせることができます。一方で,火成岩は数百度から1000℃の温度をいったんは経験しているわけですし,火山から噴き出されて積もったもの以外は明瞭な層構造は持ちません。堆積岩でできた料理用プレートで焼き肉をしようとすれば,プレートが壊れること請け合いですが,火成岩,特に溶岩のような火山岩ならば,「昔取ったきねづか」で,問題ないでしょう。

 本書は,地質学の詳しい知識なしでも地質災害をよりよく理解する手掛かりになることを目的としました。地質災害を理解して予測するために,どのような見方が大切なのか,考えていきたいと思います。そのために,大地の悠久な営みを理解して,その流れの中で生じる地質現象が災害を発生させるということを理解していただくことが不可欠と思い,目次を構成しました。まず第1章では,山を崩します。第2章と第3章で山を崩す原因となる地中の水と雨について述べます。そして,第4章では土石を山から川に運びます。第5章では,川が山を刻んでいく様子を,そして,第6章では氷河が山を刻んでいく様子を述べます。第7章では土砂が川から海に至ります。第8章では海の侵食,第9章では風の働きについて述べます。第9章までは,いわば外からの作用で大地が変貌していく姿の話ですが,第10章から第12章までは地球内部の話になります。第10章では,地層などの地質の構造について述べ,第11章では火山について,第12章では地中の熱,第13章では地震についてお話しします。そして,最後の第14章では地表を構成する岩石がどのように風化していくかについてお話しします。このように書いてくる と,本書も「環境地質学」の本のように聞こえてしまうかも知れませんが,あくまでも主題は「地質災害」―地質災害を引き起こす地質現象−です。どこかで地質災害に繋がっています。

 本書の特色は,すべて1ページ1主題で読み切りのようになっていることです。また,できるだけ説明が少なくて済む写真を準備しました。もともとスライドを作るようにして原稿を準備したので,文章の方は付属になっています。写真をみれば,文章は斜め読みで大丈夫,ということを理想としました。見出しと写真を見て内容を思い浮かべていただけると良いのですが。もちろん,本書はより深い理解のためのきっかけとなることを目指しています。より深く知りたい,という方のために,ところどころに私の前著の関連ページを記しました。前著では,個々の地質災害についてかなり詳述するとともに,研究の上での気持ちの流れについても記述してあります。また,関連文献も挙げてあります。一方,本書では,直接的に引用をしたような文献は記しましたが,極力少なくしました。

 本書では,地質現象と地質災害との間を行ったり来たりしています。そのため,一つの災害事例があちこちに登場しますが,その場合には災害事例の索引が役立つと思います。また,地質現象を網羅しているわけでもありませんが,地質災害を理解するために必要な地質現象はできるだけとりあげたつもりです。あくまでも本の上ですが,机上の空論ではなく,身近に起こる地質災害と関係付けながら読んでいただけると大変うれしく思います。そして,面白いと感じられたなら,野外に出て,色々なものを見てください。それから体系だった本を読んでも全く遅くありませんし,その方が自分の頭と体で考えながら本を批判的に読んでいくことができるでしょう。

 2014年の広島の災害の後に,警戒区域の指定がされていたかどうか,また,避難勧告が出されたかどうか,ということが大きな議論になりました。でも,その前に,多くの人が大地の営みがどうであったのか,自分の足元がどうやってできてきたのか,ということを知っていれば,事態は大きく変わっていたのではないか,というのが私の素直な気持ちです。このような例はほかにもたくさんあるはずです。地質学は足元の科学です。ぜひ,皆さんの足元から自分たちの環境を考え,時に厳しい顔を見せる自然と親しくなっていただきたいと思います。


「蛇抜けの碑」
 *1は,1953年に長野県南木曽で発生した土石流災害を忘れぬために建設された「蛇抜けの碑」です。顔を手で覆って悲嘆にくれる少女の像です。高さ5mほどもあり,公園の良く目立つところにあります。この土石流は,昭和28年7月20日にあったもので3人の小学生の命を奪いました。この碑の説明には,霊を慰めるとともに,この災害で得られた幾多の教訓を後世に伝えるために建立したとあります。それでも,2014年には,この土石流の発生した沢と反対側の沢で再度土石流災害が発生し,家屋が破壊されるとともに1人の命が奪われました。我が国は狭い山国です。多くの人が昔の斜面崩壊や土石流の跡,あるいは,緩慢に動く地すべり地の上に居住しています。このような教訓を忘れないとともに,多くの人が足元の大地の成り立ちを理解すれば,自らの感覚で危険を感じることができ,過度に情報に頼らないでも身を守る自助共助につなげることができるのではないかと思います。

 次ページの表(*2)は,1996年以降に,我が国と近傍の国で発生した大きな地質災害を示したものです。この表はすべての主要災害を網羅したものとは言えませんが,少なくとも多くの地質災害を生じたものを集めたもので,大部分私が調査に関わったものです。この表を見てわかるように,毎年のように斜面崩壊や土石流などの地質災害が発生してきました。これだけのリストはおそらくヨーロッパの一つの国ではできないでしょう。一方で,アジアの多くの国で,これと同様の表ができるように思えます。アジアには世界中の災害が集中しているのです。
 表には,災害を引き起こした誘因−つまり引き金−も示してあります。地震によるものと降雨によるものが多いですが,それらの他に特に引き金のないものや,水蒸気爆発によるもの,融雪によるもの,などもあります。これらの引き金の有無や種類とも関係して,地質災害には多様性があります。また,寺田寅彦が「災害は忘れたころにやってくる」と言ったことを引くまでもなく,時間がたてば災害の記憶は薄れます。そのため,発生頻度の相対的に低い災害は忘れられがちです。その意味でも,多様な災害について,どのようなものだったのか,記憶を新たに整理しておくことは大変重要なことなのです。本書では,私が京都大学防災研究所に赴任してから今までの約18年間に生じた災害を主な対象として,また,それらに関連する過去の災害をひも解いて行きたいと思います。

 本書で対象とするような災害は,インターネットの検索をかければ間違いなくヒットするものです。また,それに関係する地震動,降雨量,地形図,地質図,空中写真なども居ながらにしてインターネットで入手できます。これらの入手先などについては,前著『崩壊の場所』に記しました。
 では,色々な災害を振り返りながら,自然を見て行きましょう。

)*1(写真)及び*2(表)は省略しています。