近未来社
■文化財保存科学ノート
本書の発刊によせて

 はじめて奈良の平城宮跡で木簡を発掘したのは1961年1月でした。出土した木簡をどのようにして保存するのか。拙速に乾燥させては,駄目になることは間違いない。しかし,恒久的な保存法はまだ確立していませんでした。仮の保存法をとらざるを得ません。写真現像用のバットの中にホルマリンをたっぷり混ぜた水に浸した脱脂綿を重ねて敷き,あいだに木簡を納め,それを電気冷蔵庫のなかにひとまず格納しました。一緒にいれていた食料品を取りだすために冷蔵庫の扉を開くと,猛烈なホルマリンの匂いが流れでたことが忘れられません。

 銹で固まった鉄製品が出土すると,やおらペンチを取りだし,銹をパチパチと強引に取り外しました。ときには熱湯の中でグツグツ煮て,銹の離れを良くすることを試みたこともあります。この荒っぽい銹取りののちは,せいぜい防湿紙で包み,乾燥剤を添えて収納するだけでした。

 そのころ保存科学の専門家は東京国立文化財研究所に数人おいででしたが,この種の遺跡から出土する遺物の保存処置について適切な方法の教示は得られませんでした。平城宮跡をはじめとする発掘調査と保存処置を講ずべき遺物の出土は続きました。やむを得ません,自力更生しかありません。

 1969年,奈良国立文化財研究所はこのような状況下におかれていました。そこへ研究所の最初の保存科学研究者として沢田正昭さんが登場しました。沢田さんはそのころ保存科学に関する唯一の教育機関であった東京芸術大学大学院美術研究科の保存科学専攻を修了したばかりの新進気鋭,いや,まだ卵の状況にある研究者でした。
 翌1970年3月,保存科学の先進国であるデンマークの国立博物館からB.ブロルソン=クリステンセンさんを招聘し,意見を交換しました。

 その教示もあって,沢田さんは1972年から翌年にかけてデンマークとアメリカ合衆国に渡り,保存科学の現状を調査し,見聞を広め,多くの知己を得て帰国しました。
 帰国後,沢田さんは大地につながる文化財,大地のもたらす文化財の保存科学の調査と研究,さらにその実践の道を切り開きながら,全力で疾走しはじめました。それはまた,奈良国立文化財研究所の保存科学担当部門がたどった道でもありました。そして,保存科学のこの概説書を沢田さんがまとめた今,研究所内外で彼が走りはじめた道を数多くの研究者が連なって走っています。

 保存科学は今なお成長期にある新しい研究分野です。そこでは,精密器機を駆使して材質を分析する研究もあれば,発掘調査現場でバケツのなかで調合した薬剤を使って遺構を保存する方法を開発する研究もあり,さらに遺構や遺物の保存のために適切な条件を解明する基礎的な調査など,実験室と工場の機能を兼ね備えた施設や設備のなかで,理学的な方法と工学的な手法をあわせて駆使しながら,さまざまの調査と研究が進行しています。さらにまた,それには文化財に関する人文科学や社会科学的な基礎知識が不可欠であることはいうまでもありません。このような研究をめぐる環境が保存科学に既存の研究分野とは異なった独特の色調をあたえています。

 この新しい研究分野の調査と研究の現状を沢田さんがこのたびとりまとめてくれました。ここから読者諸氏はこれまでのこの分野の蓄積を知っていただけるでしょう。さらに加えて,私はその今後を展望していただくことを期待しています。

1997年9月 田中 琢(奈良国立文化財研究所長)

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