近未来社
■地すべり地形の判読法
本書の刊行によせて

 我が国で地質学が社会と直接関係をもつようになったのは,徳川時代末期に外国人学者を招いて系統的な地下資源の探査を行ったのが始まりである。この関係は明治になってからも続き,明治10年に日本で最初の地質学科が東京大学の理学部の中に設立されたときも,地質学科は採鉱冶金学科と一緒に設けられていて,明らかに資源開発にねらいがつけられていた。その後いくつかの曲折を経て採鉱冶金学科が工学部に移ったあと,地質学科は純理学的な研究・教育に力を集中するようになったけれども,その卒業生の多くは資源の開発に密接に関わりつづけ,この傾向は昭和の半ばまでつづいた。

 地下資源の開発は戦後頭打ちになり,石炭石油をふくめて鉱山が相次いで閉山になると,地質学は別の方面に活用されるようになった。それはトンネルの掘削,ダムの建設,道路基盤の調査といった方面で,社会基盤の整備改善に使われて大きな貢献をしたといえよう。これは応用地質学と一括されていた分野に新しい地質工学という領域をつくるきっかけをつくった。こういういわば建設の仕事は今ではすくなくとも我が国では終わりに近づき,あらたに環境問題への関わりが脚光を浴びるようになり,地質学と社会との接点は大幅に様変わりをした。今や新たなものの建設よりは今までにできたもののメインテナンスへの寄与が望まれるようになった。その中でも地質学に期待されるのが,斜面の安定とか,防災への提言とか,あるいは土壌汚染への貢献といった方面である。

 日本の山野には無数の地すべりが存在する。新しいものもあるし非常に古いものもある。こういう地すべりの調査・研究は,野外で実物を見ることから始めなければならない。しかし実際に野外で作業する人たちがだれでも実感するように,簡単に地すべりといってもその輪郭をつかむのでさえそう簡単ではない。どうしても空から見る必要が生じる。実際,空中写真が利用できるようになってから,どれだけ地すべり研究が発達しただろうか。とはいうものの,空中写真を判読するのには相当な経験と知識が必要で,それは一種の名人芸とさえいえる。

 本書は主に空中写真を使って地すべり体を見いだしその輪郭を定めるやり方と,すべり運動の実態の推定のしかたをこと細かに教えてくれる。例として引かれた地すべりは日本全国にわたる。一つ一つの地すべり体を決めていった著者の苦労がこと細かにそのまま書かれていて,刺激的であると同時に教育的である。取り上げられた地すべりは21体,それに新潟県中越地震に引き金を引かれてできた8体(細かくみればもっと多いかもしれぬ)が加えられ,それぞれ一つのタイプを代表している。つけられた立体写真を眺めるだけでもいろんなことを考えさせるだろう。教科書はどうしても網羅的であろうとして,細部を無視してしまうことが多いが,本書はその対極ともいえる本である。

 なお,近頃地滑りという言葉が横行している。これはワープロで「じすべり」を変換させるとこうでてくるのが大きい原因らしい。でも地滑りという言葉なない。地すべり学会では地すべりに統一しているそうである。本書はもちろん地すべりを使っている。

 この本の原稿は財団法人深田地質研究所が隔月で出している「深田研ニュース」に連載されたものが基礎となっている。改めてまとめてみると壮観でさえある。広く江湖にすすめる所以である。

2007年8月 佐藤 正

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