近未来社
■洪水の水理
まえがき

 大雨や大量の雪解けによって河川の水かさが増し,時には河川の外に氾濫する現象が生じることがあります。これらの現象を総称して洪水と呼んでいますが,洪水が河川の内部(河道)に収まっているかぎりは,堤防・護岸の損傷,堰や床固めの転倒といった損害を被ることはあるものの,一般には地域の住民や経済・社会活動に直接大きな被害を与えることはありません。しかし,一旦洪水が河道外へ氾濫すれば周辺は甚大な害を被ることになります。このような災害を洪水災害あるいは広く水害と呼んでいます。

 わが国はその置かれた地球上の位置と独自の地勢的条件によって古くから水害に悩まされてきました。例えば、平安京が設置されて間もなくの時代に鴨川の治水を司る「防鴨河使(ぼうがし)」という役所も設けられていましたが,相次ぐ洪水に襲われ,権勢を誇った白川上皇が侭ならぬものの筆頭に「賀茂の水」を挙げていることはよく知られています。鴨川の治水に対する努力はその後も続けられ,豊臣秀吉は都の中心部を「御土居(おどい)」という堤防状の盛り土で取り囲み,鴨川からの隔離を図りました。江戸時代にはかなり本格的な堤防であったといわれる「寛文新堤」が設けられましたが,洪水被害はさして減少しませんでした。その原因として,新たな堤内地の開発と,洪水に伴って比叡山方面から流出する土砂による河床上昇が挙げられます。その後も治水には力が入れられたと思われますが,平安時代から昭和初期までに起こった鴨川の洪水は120回を越えるといわれています。中でも昭和10年の鴨川大水害は特筆すべきもので,その復旧計画を基に,現在に至る鴨川の改修が進められました。さらに安全な川を目指して,上流に新たにダムを設置する治水計画も立てられたのですが,激 しい反対によって,懸案事項となったままになっているようです。最近に至るまで,昭和10年洪水に匹敵する洪水が生じていないのは幸運ですが,河川沿いに多数の雨水排出口が設けられており,最近の異常とも思える豪雨の頻発による一気の洪水が生じる危険性の増大の中で,古くから市民に親しまれてきた鴨川の水辺空間をよりよいものにしながら,今後どのような治水施策を実行するのか,最近の治水問題の典型例がここにも見出されます。

 わが国の水害による死者数の変遷を,明確な記録が残っている1945年(昭和20年)以降について見ると,伊勢湾台風があった1959年(昭和34年)以前は年間平均1,500?1,900人に達していたのが,それ以降1985年くらいまでは400人?200人と急激に減少し,最近では100人以下になっています。洪水の主たる原因は台風や前線の活動による豪雨ですが,1959年以前には巨大台風が相次いで来襲し,戦後の荒廃が続いていた状況下で大規模な洪水氾濫災害が生じました。昭和34年以降,台風や集中豪雨の数は決して減少していないのにもかかわらず,水害犠牲者の数が着実に減少してきた背景には,大河川の改修が優先的に進められて,大河川からの氾濫がほとんど無くなったこと,戦時の荒廃によって禿山化していた山地に緑が回復したこと,気象予報技術が進展して事前対応が可能になってきたこと,避難等の災害対策に対する法的根拠が与えられたことなどが大きく貢献しています。しかしながら,水害による被害額についてみると,時代と共に減少する傾向は見当たりません。その理由としては,下記のような国土の利用状況と災害形態の変化が挙げられます。

 1) 現在では,全人口の50%,全資産の75%が国土面積の10%にしか過ぎない洪水氾濫危険範囲に集中している。
 2) 都市部への人口集中が進み,土砂災害の恐れのある急傾斜地の周辺や,浸水の恐れのある低湿地等への居住が広がっている。とくに土砂災害の相対的な重要性の増大は顕著で,1964年頃までは土砂災害によるよりも水害による損害の方が多かったが,最近は両者がほぼ同じ比率になっている。
 3) 新興住宅地の開発は,流域において,洪水・土砂災害の緩衝地帯となっていた部分の消失を意味し,旧来の市街地への災害外力を大きくする結果となる。具体的には,都市河川の洪水流量が増加し,河川の安全度が低下する。現在,多くの都市河川において,当面,時間雨量50mm相当の降雨に対して無被害とすることを目標として改良が進められているが,その整備率は50?60%に留まっている。その遅れの主たる理由は,市街地においては,河川の拡幅や堤防の嵩上げに必要な用地の確保が難しいことである。また,堤内地に降った雨は、河川へ排水されなければならないが,河川側の水位が高いために自然排水ができない上に,河川の洪水疎通能力が不足しているために,ポンプによって強制排水しようにも,河川の決壊を予防するために,ポンプを停止せざるを得ない状況が生じ,深刻な内水災害が多くなっている。

 1998年以降,1時間降水量が75mmを越すような猛烈な雨の生起回数が増加し,上述の都市部の開発および災害対策の遅れと相俟って,従来は無かった新しい型の災害が見られるようになりました。大都市の地下街・地下鉄あるいはビルの地下室への浸水被害がその典型例です。地下室の電源設備が水没して病院が機能麻痺に陥る例が1982年の長崎水害で起こり,都市水害に対する留意点としてクローズアップされましたが,このような例は,東京で1993年と1999年に,名古屋を中心とする東海豪雨で2000年に,福岡で1999年と2003年にというように,最近になって頻発し,中でも東京と福岡では地下室への浸水によって死者が出ています。都市河川の親水公園化が進められる中で,突然の出水が5名の尊い命を奪うという惨事が2008年7月に神戸の都賀川で起こり,そのような出水の予知および避難に対する問題が明らかになったことは記憶に新しいものがあります。

 2004年には上陸台風が10個にのぼり,1990年と1993年の6個の記録を大幅に塗り替えました。さらに,本土への接近数は18個で,これは特別に多いとは言えませんが,その何れもが強い勢力を持ったまま接近・上陸したのが特徴で,これによって死者・行方不明者が230人を超えました。風水害によってこれほどの被害者が出たのは,1982年の長崎水害以来のことです。非常に強い降雨の発生や勢力の強い台風の接近・上陸は地球温暖化の影響であるとも言われており,もしそうであるなら,今後もこの傾向は強くなりこそすれ,減少することは当分望めそうもありません。このような状況下では,例えば,河川改修が100年に一度生起する洪水を対象として完成しているとしても,対象とした降雨の強さが2割増しになるとすれば,洪水ピーク流量が約3割増しになって,この河川は20?40年に一回の洪水に対してしか安全でなくなってしまうといわれています。2004年の風水害では,死者の6割以上が高齢者でありました。高齢者への避難支援対策の必要性が問われたほか,避難勧告などの情報伝達の不徹底や,住民側に自助努力しようとする姿勢がないなどの問題点も浮き彫りになりました。2004年には,さら に,新潟県中越地震が発生し,阪神・淡路大震災以来の被害地震となりました。本地震はまた,夥しい斜面崩壊などの土砂災害を伴ったことが特徴で,とくに山古志村芋川流域に多数の天然ダムが形成されました。天然ダムの決壊は下流地区に大規模な洪水災害をもたらす危険があることから,緊急の排水対策などの対応がなされました。2008年の岩手・宮城内陸地震でも同様の事象が生じました。中国の四川地震も同様です。天然ダムの危険度の迅速な見極めと決壊被害の見積もりの技術開発が必要であることを示しています。ただし,天然ダムの問題に関しては,高橋(2004)で比較的詳しく取上げましたので,本書では取り扱いません。

 上述したような最近の事例は,大河川が水害の危険性をはらんでいるといったことは過去のことであるというような,いわば一般の了解事項が,もはや通用しなくなりつつある兆候であると言えるのではないでしょうか。洪水対策は大昔から営々として行われ,洪水を河道の内部に閉じ込めることを主眼としてきましたが,最近の社会情勢からして,そのような方向をどこまでも推し進めることは不可能であり,流域全体を見渡した総合的な対処が必要になっていることが明らかです。個々の流域に最適の方策を見出すためには,洪水の河道内での挙動はもちろん,市街地等での氾濫流の性質を正しく知ることが不可避です。計算機の著しい発達のおかげで,氾濫流はもちろんのこと河道内の洪水流も,最近ではもっぱら計算機による数値的な解析によって答えが求められています。しかしながら,計算機開発以前に盛んに行われていたような手法を通して,洪水流の特性を理解してから数値計算に進むことは,正しい対処方針や定量的評価を得るための道筋として大いに役立つものと考えられます。

 私は,古く1964年から1971年くらいまで,実験と理論を基に河道における洪水流の特性把握の研究を行っておりました。また,1982年からの10年間には市街地における洪水氾濫・土砂氾濫問題の研究を行いました。本書は私あるいは私と共同研究者とが行った研究を中心に取り上げて,洪水流および洪水氾濫流に対する理解に資することを目的としています。河道における洪水流の研究には,流量が大きいことと河道の複雑性が複合して起こる諸現象の解明に重点を置く立場と,流量が少ない状態から大きい状態へ,さらに再び少ない状態へと遷移するといった非定常性に起因する特徴的な諸現象の解明に重点を置く立場があり,どちらも重要であることは論を待ちませんが,本書では,主として,後者の立場で行った研究について述べています。洪水研究を直接手がけなくなってかなりの時間が経過していますので,最近の研究に対するレビューが欠けている面があろうかと思いますが,ご容赦をお願いします。

2009年夏 高橋 保

もどるホーム