近未来社
■断層地震の連鎖
はじめに

 阪神・淡路大震災を誘発した平成7(1995)年兵庫県南部地震(気象庁マグニチュードMj7.3)から16年が過ぎた平成23(2011)年,近代都市神戸や淡路島では復興が確実に感じられるようになった矢先であった。その日は,山口総合庁舎(山口市神田町)にある県土木事務所に,山口市長谷で発見した活断層露頭の説明にいくため,午後2時50分少し前,大学院博士後期課程の相山光太郎君と一緒に,車に乗った。カーステレオをつけた途端に,緊急地震速報が耳に飛び込んできた。「宮城県沖を震源として地震が起きました。強い揺れに警戒してください。」そして山口総合庁舎につく寸前に,三陸地方沿岸部に津波警報(大津波)が出されたことを報じていた。胸騒ぎを感じ,相山君と「これは大変なことになるのではないか」と話したことを記憶している。テレビ画面には連日,大きな恐怖を感じるようなとてつもない大津波や,目を覆いたくなるような被害の様子が映し出され,一人の研究者として無力感を感じる日々が過ぎていった。

 平成23(2011)年3月11日午後2時46分ころに,東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)が発生した。強い地震動と巨大津波によって,東北地方の広い範囲で大震災が誘発され,自然の猛威を目の当たりに見せつけられた。この巨大地震前に,東日本では平成16(2004)年新潟県中越地震(Mj6.8),平成19(2007)年新潟県中越沖地震(Mj6.8),平成20(2008)年岩手・宮城内陸地震(Mj7.2)など,活断層地震が続発して,そして海溝型巨大地震に至ったのであった。
 三陸海岸は,これまでもたびたび大津波に襲われて,近年になって明治28(1896)年と昭和8(1933)年にも,大津波によって惨劇が繰り返された。三陸海岸の南に位置する仙台平野は,貞観11(869)年5月26日貞観地震津波(推定M8.3)と慶長16(1611)年10月28日慶長三陸地震津波(推定M8.1)によっても,津波被害を受けている。貞観地震津波の18年後の仁和3(887)年7月30日には,仁和地震(推定M8〜8.5)による大津波で,西日本の太平洋沿岸に被害が出たことが記録として残っている。仁和地震は,四国沖の南海トラフに沿って起きた海溝型巨大地震である。すなわち,東北地方太平洋沖の巨大地震の20年後くらいに,南海トラフに沿って巨大地震が起きていたことになる。日本列島の規模で,このようなことが繰り返されているとすると,南海トラフ沿いの海溝型巨大地震の発生がひたひたと近づいていることになる。

 一方,西日本では平成7(1995)年1月17日午前5時46分に,兵庫県南部地震(Mj7.3)が発生して,阪神・淡路大震災が誘発された。これ以降,活断層地震が頻発して,地震の活動期に入ったとされる。つまり,平成9(1997)年山口県北部の地震(Mj6.6),平成12(2000)年鳥取県西部地震(Mj7.3),平成17(2005)年福岡県西方沖の地震(Mj7.0),平成19(2007)年能登半島地震(Mj6.9)と活断層地震が相次ぎ,局地的に大きな被害がもたらされた。この間,平成13(2001)年にはスラブ内地震に属する芸予地震(Mj6.7)が起きた。本書では,現在の活動期を“平成の活動期”と呼ぶことにしよう。
 今年3月14日未明,私は強い揺れとガタガタという音で目を覚ました。ひょっとしたら,南海トラフ地震ではないか,という思いがすぐに頭をよぎった。数十秒続いた強い揺れの後,テレビでは山口市震度4,防府市震度5弱,愛媛県伊予市で最大震度の5強を速報していた。午前2時6分ころに,伊予灘の地下78kmを震源として,マグニチュードMj6.2の地震が起きたのである。兵庫県南部地震以降,山口市で震度4を観測したのは,上記の内陸地震のうち山口県北部の地震,芸予地震,福岡県西方沖の地震,今回が4回目であり,最近になって強い地震を感じることが多くなった。
 このような地震の活動期は,過去にもたびたび訪れており,南海トラフに沿って海溝型巨大地震が起きてしばらくすると終焉し,つかの間の静穏期が来ている。南海トラフ巨大地震は,これまで90〜150年の間隔で繰り返している。兵庫県南部地震の2年前に出版された小著『甦る断層−テクトニクスと地震の予知』のなかで,「私たちはこの地震の少ない静穏期を,いつまで楽しむことができるのだろうか」と書いた。その2年後にそのことが現実になろうとは,思ってもいなかったのである。
 そう遠くない将来に,南海トラフに沿って海溝型巨大地震が発生することが予測され,強い地震動や大津波の発生が想定されている。本書では,この巨大地震に誘発される大震災を,「西日本大震災」と呼ぶことにしよう。3.11東日本大震災から多くの教訓を学び,次の西日本大震災に生かさなければならない。

 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の発生後に,地震調査研究推進本部が設置され,全国主要110活断層の調査が行われ,その結果に基づいて活断層(内陸)地震の長期評価が実施されてきた。そこでは次の内陸地震は,これらの活断層のうちどれかが動いて起こるはずである,が前提であった。しかし,兵庫県南部地震以降の活断層(内陸)地震は,110活断層以外で起きている。そのことから,「内陸地震はどこで起きても不思議ではない」との誤解も生み出されている。そこでは,地形学的な手法が優先され,地質学やテクトニクスの視点が少し欠けていたのであろう。私の持論は,「内陸地震は,プレート運動で生じる現在の応力場に呼応して,動きやすい地質断層が動いて(再活動して)起きている」,である。
 東日本大震災の発生を深く心にとどめ,次に起きると想定される南海トラフに沿った超巨大地震,それに誘発される西日本大震災に備えることの重要性を提言したい。多大な犠牲を払った大震災から,私たちは何を学び,何を後世に伝えていかなければならないのであろうか。“過去を知り,過去から学ぶ”ことが重要である。甚大な被害を出した悲惨な記録には,数多くの教訓がふくまれている。
 地球の鼓動ともいうべき莫大なエネルギーを持った地震の発生を食い止めることは,もはや人間の手では不可能であることは言うまでもない。研究は続けられてはいるものの,地震の予知・予測も現状では難しい。私たちにできることは,断層地震に関する正しい知識と情報を持ち、来るべき海溝型巨大地震および,その前後に起きる活断層地震とスラブ内地震に備えていくことではなかろうか。

 私は,近未来社から平成5(1993)年に『甦る断層−テクトニクスと地震の予知』,翌年に『断層列島−動く断層と地震のメカニズム』を続刊した後,兵庫県南部地震の発生をうけて,平成9(1997)年に『活断層系−大地震発生とマイクロプレート』を著した。この年に,岐阜大学から山口大学に転任した。平成17(2005)年には,まったく想定されていなかった福岡県西方沖の地震(Mj7.0)が発生し,山口県でも少なからぬ被害が出た。今でもそうであるが,山口県は活断層も少なく地震も少ないという誤解が一部にある。この誤解に警鐘を鳴らすために,同年夏に『山口県の活断層−地震災害の軽減をめざして』を,同じく近未来社から上梓した。
 昭和46(1971)年春,進級論文の時に九州天草で断層に初めて出会って,はや40年余が経過した。この間,上述した書籍を著してきた。本書は,断層関連の単著としては6作目となり,40余年におよぶ私の断層研究の集大成でもある。そこでは,東日本大震災の発生で得られた知見と教訓を踏まえながら,活断層と地震に関する基礎知識や最新情報を盛り込み,次に起きると想定される南海トラフに沿った超巨大地震,それに誘発される西日本大震災にどのように備えたらよいかを提案してみよう。
 第5章で詳しく述べるように,明治24(1891)年にわが国の内陸地震としては最大級のM8.0を記録した濃尾地震が起きた。この大地震を詳しく現地調査した近代地質学の草分け小藤文次郎は,地裂線が根尾谷断層と一致することから,「断層が動いて,地震が起きる」とする,『断層地震説』を提唱した。現在では,この考え方は広く受け入れられてきている。本書は,入念なフィールドワークに基づいて,断層と地震の実像に迫ることを主題としているので,『説』をとるとともに,断層地震は『連鎖』して起きるので,タイトルを『断層地震の連鎖』とした。断層に出会ってから,40余年が過ぎ去った。この間,おもに野外で確認された断層を対象として,断層露頭を詳しく調査・解析してきたことから,サブタイトルを『断層との対話』とした。果たして,断層と意思疎通ができたのだろうか? この答は小著から読み取って欲しい。

 本書ではまず,序章で,東日本大震災を誘発した東北地方太平洋沖地震を科学的に振り返りながら,想定されていた「宮城県沖地震」の関係について述べる。この大震災から私たちは多くの教訓を学び,次に起きる南海トラフ巨大地震に誘発される西日本大震災に生かしていかなければならないのである。
 第1章では,これまでたびたび西日本を訪れている地震の活動期を振り返る。地震の活動期は,南海トラフで起きる海溝型地震の数十年前から始まり,海溝型地震が起きると,しばらくして活動期が終わり,静穏期を迎える。近年では,江戸時代末期の安政年間と,太平洋戦争前後の昭和年間に,地震の活動期が訪れており,活動期から次の活動期までは約百年間あった。今は,兵庫県南部地震から始まった“平成の活動期”のさなかである。これら地震の活動期について,詳しく解説するとともに,次に起こる南海トラフ巨大地震の想定内容に触れる。
 兵庫県南部地震以降,私は国内で発生した主な被害地震を対象として,活断層と地震被害の関係を把握するために,被災地に入り現地調査を行ってきた。第2章では,兵庫県南部地震とそれ以降に起きた大地震のうち,私が震災調査に携わった地震と活断層の特徴について,震災調査で感じたことなどを交えながら書きとめておこう。
 兵庫県南部地震以降,「内陸地震は個々の活断層が動いて起きる」ことがあまりにも誇張されてきた感が否めない。しかし,頻発している内陸大地震は,活断層が個々に動いているのではなく,プレートの運動を反映して,海溝型地震やスラブ内地震と密接に関連しながら動いていることを実証している。第3章では,兵庫県南部地震以降,日本列島で発生した活断層(内陸)地震に関して得られた知見に基づいて,活断層と地震を捉え直してみよう。
 私たちは悲惨な震災から,社会的にも学問的にも多くのことを学んできたことも事実である。地震発生直後に,緊急地震速報や地震情報,そして「特別警報」が出されるようになった。それによって,被害が軽減されてきていることも事実である。一方,活断層と地震に関しては,依然として克服できない問題も数多く残されている。第4章では,地震と津波に関して,基礎的な内容も含めて解説するとともに,これまで蓄積されてきた知見や知識を整理しておこう。
 第5章では,古地震像や,断層と地震に関わった人たちについての話題を,アラカルト的に取り上げてみよう。この章に登場する大森房吉,今村明恒,高島北海,小藤文次郎はいずれも,東京都小金井市にある多磨霊園に眠っている。地震学や地質学の草分けでもあるこれら先達は,草葉の陰で平成の活動期と東日本大震災の勃発をどう思っているのだろうか。一度,聞いてみたいものである。
 私は平成2(1990)年ころから,マイクロプレートモデルを提唱し,国際誌に発表してきた。マイクロプレートの境界で,平成7(1995)年に兵庫県南部地震が起きて,阪神・淡路大震災が誘発された。第6章では,プレートテクトニクスや,マイクロプレートモデルを再訪して,日本列島で発生した大地震や世界の大地震を概観してみよう。さらに,私が断層の研究を始めることになった経緯を紹介しながら,おもな研究フィールドとしてきた中国地方に注目して,断層テクトニクスと活断層の運動(活断層地震)の実像に迫る。
 第7章では,地震や震災を刻んだ石碑を探訪するとともに,古文書や史料の記録から,先人のメッセージを理解して,多くの教訓を学ぶ。碑文に刻まれた文字からは,当時の悲惨な震災の様子が生々しく伝わってくる。私たちの先祖は,どのような思いで,これらの石碑を刻んだのであろうか。きっと,後世の人々へ震災の悲惨さを教え,平素から地震に備えなければならないことを伝えたかったのではなかろうか。私たちは,これらの教訓を,次の大地震に生かしていくべく責務を負っている。

 最後に,第8章では次に起きる南海トラフ巨大地震と活断層地震との因果関係および時系列について,詳しく解説する。これまで,西日本ではスラブ内地震の数十年後に,南海地震が起きてきた。平成13(2001)年芸予地震の発生によって,次の“南海地震”の引き金は引かれた。ここに,“南海地震”発生の準備は,整えられたとみるべきである。“南海地震”が起きると,西日本大震災が誘発されるであろう。来るべき大震災への備え,そして大震災から自分自身の身体生命を守るためにしなければならないことを記して,本書を締めくくることにしよう。
 平成26(2014)年8月
平成26(2014)年 8月 金折 裕司

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