自然科学書出版  近未来社
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島嶼環境史学への招待
 −アーカイブからひもとく災害レジリエンス

プロローグ
低頻度・巨大災害に対するレジリエンスの強化に向けた
 島嶼における人類学的・自然環境史学的研究

1.島嶼環境史学とは
 南海トラフ地震や富士山噴火など近い将来に起こりうる巨大災害への備えが叫ばれている.また,約9万年前の阿蘇カルデラの巨大火砕流噴火との関係で原発の稼働差し止めが提訴されるなど,地殻変動による低頻度・巨大災害に対する理解が不可欠となっている.このような巨大災害を起こす諸現象は現在の機器観測などに偏重しがちだが,低頻度の現象を正確に捉えるには長期間に遡った研究が肝要である.
 1992年の国連環境開発会議(地球サミット)以来,国際社会は持続可能な社会の創成に努力してきたが,2012年の国連持続可能な開発会議(リオ+20)[1]の成果でも明らかなように,理想からの乖離はますます拡大している.未来設計イニシアティブ[2]でも,この難局を打破する決定打となる鍵は見当たらなかった.その一方,これからの社会のつくり方の指針となるSociety 5.0[3]の実現に向けて,2015年に国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)[4]を共通言語とし,社会経済の発展と環境保全の両立を実現する新しい社会構造の構築が求められている.2017年に閣議決定された環境省「第五次環境基本計画」[5]の中では,この新しい社会構造を「環境・生命文明社会」として提唱し,「循環」や「共生」をキーワードとした社会の実現を目指している.
 我が国で頻発している自然災害は,人類の活動領域の拡大に伴ってさらに深刻化すると考えられ,その対策は喫緊の課題である.加えて,侵略的外来種の問題や地球温暖化に起因すると考えられる自然環境の急変に対しても社会が脆弱になっている.現代は「人新世(人類世)」(Anthropocene)[6 - 9]とも呼ばれ,人類活動による環境汚染や急速な生物種の減少と大量絶滅が深刻な時代である.厳しい人新世を豊かに生き抜き,持続可能な社会を実現するために人類の叡智が問われている.
 本書では,日本列島のように海によって隔てられた島嶼域の自然環境,生態系,人間社会とその展開を対象として,陸域アーカイブから人類と環境の相互作用の歴史を構築し,自然災害科学・環境学と考古学・歴史学を融合させた新しい学問「島嶼環境史学」の創成を試みる.

2.低頻度・巨大災害に備える鍵としての「歴史」
 自然災害に対しては,堤防やダムなどのハード対策とハザードマップなどのソフト対策の両面で対応が図られる.地震学における地震の規模と頻度の経験則であるグーテンベルグ・リヒター則[10]に代表されるように,一般に巨大な自然現象ほど低頻度である.低頻度・巨大災害は,現代社会が受け止めるには手に負えない規模の災害であるが,現象の発現は極めて稀であり,再び発災するまでの期間は長期(数10〜数1000年オーダー)に及ぶ.発生確率が低いため,対策の優先順位も低くなりがちとなる.しかし,巨大災害への対応指針を不在のまま放置することは,「災害大国 ニッポン」ともいわれる我が国において将来的な国益を損ないかねず,国民の豊かな暮らしにも資さない.
 本書では「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」(オットー・フォン・ビスマルク)を基本理念として,堆積物などに記録されている過去の事例を収集・紹介し,現在の科学観測に対して俯瞰的な情報を与えることで,低頻度・巨大災害へのレジリエンス強化を目指す.ここでいうレジリエンスとは,災害に対する強くしなやかな回復力を指す.
 地震災害データベースなどの地質情報学は,データ集積と交換,さらには社会へのアウトプットとして巨大災害に対するレジリエンスを強化する重要な役割を果たす.地質情報研究の利用対象は,研究者コミュニティーから一般市民まで幅広く想定される.このことから,(1)学術論文と露頭情報や分析値などの基礎データを統合することで,研究データの集積や将来の検証に役立ち,(2)研究成果の社会還元を通じてアウトリーチや防災・減災に貢献する.これは科学技術基本計画で示されたSociety 5.0の社会構築にも寄与する.
 過去の記録(歴史)は,その「確からしさ」ゆえに未来を予測する「鍵」となりうる.その精度を数段向上させることで未来の予測をより確かなものにできる.人類の主要な活動が展開してきた陸域での記録(アーカイブ)を正確な時間軸で読み取り[11],過去の大きな環境変動・イベントや社会・文化史と比較・対照させることで,将来に向けた知見を得ることができる.

3.低頻度・巨大災害をどう捉えるか
 日本列島のような島嶼地域は,沈み込み帯テクトニクスで形成される島弧にあたる.島弧では,過去にカルデラ形成噴火や巨大津波などによる低頻度・巨大災害に見舞われているが,あまりに低頻度の現象であるため文字文化による伝承がほとんどなされていない.人の歴史は文字文化の発展と不可分の関係にあり,歴史時代以前に生じた自然事象は考古遺跡などの陸域アーカイブに残された記録に頼ることになる.しかし,このような記録は確からしい防災情報として昇華することが困難なため,東北地方太平洋沖地震と巨大津波のようなリアルな災害経験に遭遇してしまう.
 あまりにも規模が巨大すぎることも災害予測・対応への「思考停止」をもたらす.しかし,どのような巨大災害であっても,日本列島が消滅しその人間が完全に姿を消すことはない.どのような形態であれ日本列島に人間が住み続けることになる.ただし,社会や文明が今と同じ形態で維持される保証はない.低頻度・巨大災害に備える必要性がまさにそこにある.巨大噴火や地震・津波の痕跡から再現期間や規模を客観的・具体的に見積もることは可能である.遠い過去の地質現象に詳細な「時間のものさし」を与え,人間活動との関わりを考察することで,低頻度・巨大災害を我がこととして捉えることができる.
 台湾,フィリピン,インドネシアなどの環太平洋の島嶼域には5億人を超える人々が生活しており,地質学的・地理的環境から常に巨大災害に向き合ってきた.海洋の影響を強く受ける島嶼域の環境変遷と人類の応答に関する理解は,低頻度・巨大災害に対するレジリエンスを強化するための鍵となる.

4.低頻度・巨大災害を捉える「年縞」の課題
 1990年代初頭,南極やグリーンランドでは氷床に刻まれた年層の解析により高精度の気候変動が解明されてきた[12].しかし,これら極域のデータが,人口が集中する中・低緯度の環境変動をどこまで反映しているのかは不明のままであった.極域の氷床に代わる指標は長い間見つからなかったが,今日では気候変動や植生変遷などの年単位・季節単位の復元可能なアーカイブとして,年縞[13, 14]がその地位を確立している.年縞は,1992〜94年度「文明と環境」プロジェクト[15]による福井県水月湖の湖底ボーリング調査により初めて発見された.採取された連続した縞模様の堆積物は,年輪と同じく毎年1枚ずつ形成されたことが示され,水月湖の年縞分析の結果は地質時代の標準時計として広く受け入れられた[16 - 18].年縞編年は数万年間の環境変動を記録し,類似したアーカイブである年輪年代より長期間をカバーする特長をもつ.これまでの一連の学術調査から,イースター島[19]やフィリピン・ルソン島[20],インドネシア・バリ島[21]の火口またはカルデラ湖で年縞が発見され,年縞が存在する湖沼条件もわかりつつある.温帯・亜熱帯など歴史的・人口集中地域では,年縞の含有物質の分析から地震・火山噴火・津波・洪水などの自然災害,人間活動による環境破壊が評価できる.さらに長期的気候変動から災害など比較的短期間の事象,人間による環境破壊の痕跡にいたるまで正確な時間軸の中で高精度な復元も期待できる.
 一方で,年縞編年の精度はまだ十分ではなく,現状では氷床コアや年輪には及ばない.例えば,白頭山苫小牧(B-Tm)テフラは,水月湖コアのSG06-0226 火山灰に対比されるが,その年代は880〜956cal CE(2σ)と1年単位ではない[22].B-Tmテフラは,774-775CEの14Cスパイク[23]を用いて 946CE 冬であることが最近確定した[24, 25].酸素同位体比年輪年代[26]もこれと一致し,グリーンランド氷床コアのNS1-2011年代も947±1CEである[27].日本産年輪では14C年代−暦年較正曲線IntCal13[28]との濃度差があったが[29, 30],IntCal20[31]に日本産樹木年輪のデータが多く採用されたことで解消した.それでも陸域における年縞編年の優位性は変わらず,テフラ編年や年輪年代と徹底的に比較するなど,年縞編年のさらなる精度の向上が求められる.

5.年縞編年による自然災害が社会の興亡・歴史の展開に与えた影響の解明
 年縞編年によって人類史上のイベントと環境変動とを正確に同期させることで,環境変動の人間集団への波及および社会・文化変容のメカニズムが解明可能となる.このような研究は進展しているが,現状では,生物学的見地に乏しく自然環境の全体像を解明するにいたっていない.本書では,暦年スケールの高精度年代学に基づいて過去の災害や環境変遷をアーカイブからひもとくことで,防災・減災に関する提言を目指す.
 精度の問題があるとはいえ,年稿編年は,地震や洪水さらには火山噴火などの自然災害だけでなく,年縞に含まれる微化石や微粒炭などの分析から,森林伐採・焼畑,大気・水質汚染など自然開発・環境破壊も年・季節単位で明らかにできる手法である.これにより,歴史上の画期となった火山噴火・大洪水・地震などの自然災害イベント,森林伐採や耕地拡大が発生したタイミング,歴史上の環境破壊の開始と社会の衰退への影響を島嶼地域で厳密に調べることができる.これらの情報は,現代文明社会の災害への脆弱性のみならず,現代の激しい環境破壊と環境汚染が人類の未来にいかなる影響を与えるかを予測するうえでも大きな役割を果たす.

6.災害大国から発信する低頻度・巨大災害の本質
 地球温暖化などの環境問題と並んで,人類にとって将来備えるべき問題は,カルデラ形成噴火や人口密集域で発生する活断層による地震や津波である.2011年東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の事故で明らかになったように,これらの低頻度現象は,超長期にわたって安全性が確保されるべき施設にも重大な被害が及び,複合的な災害とその対応が数10〜100年にわたって続く.
 カルデラ火山では,カルデラの形成後,活発な後カルデラ火山が活動を始める.姶良カルデラの桜島,阿蘇カルデラの中岳などがその例である.これらの火山では,地球物理学的観測によって火山活動が積極的に監視されているが,活動的な後カルデラ火山に重点が置かれているため,巨大噴火の準備状況を捉える視点に欠ける.地球物理学的観測では,どこに焦点を当てるかが重要であり,そのためには前兆を含めたカルデラ火山活動の描像を明らかにすることが不可欠である.陸域アーカイブから明らかになる履歴を地球物理学的観測にフィードバックして,カルデラ火山の活動推移を知ることが重要となる.巨大噴火では,大量のマグマ蓄積といった準備過程が必要条件であるため,活動履歴の精密な解明が次の現象の規模を見積もる際に重要な知見となり得る.

2025年6月
 (編著)

 奥野 充・遠田晋次・三浦大助・山田和芳・早川宗志・宝田晋治・清杉孝司・藤木利之・續ィ光博