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はじめに
昭和南海地震は1946年12月21日に四国沖の太平洋海底で起きたマグニチュード8.0の巨大地震である.紀伊半島から四国の太平洋沿岸は甚大な被害を受けた.それから80年近く経って,次の南海地震が懸念されるようになり,政府は観測網の整備と共に備えを強く促している.
近年では充実した観測網によって,想定震源域のすぐ近傍で起きている微動やゆっくり滑りが観測されるようになった.このゆっくり滑りと南海地震とはどのような関係にあるのか.それが南海地震のきっかけになるかどうかは大きな関心事である.
異常が観測されても,その先はどうなるのかはわからないが,前回の昭和南海地震の前はどうだったのか.ゆっくり滑りは先行したのだろうか.残念ながらこの時代に充分な計測データを期待することはできない.この地震の前年には三河地震,前々年には東南海地震が起きている.戦争と地震で国は疲弊し,充分な観測資料が得られる時代ではなかった.
計測機器によるデータは乏しいが,目視資料は少なくない.例えば本震前後の海水位の変化の目撃証言はたくさんあり,本震による上下変動を知ることができる.精度は検潮記録には及ばないが,目視点ははるかに多いという利点がある.
多くの目視から得られた地震時の海水位の変化を,水準測量による地殻の上下変動と結合させることによって南海地震前後の上下変動を知ることができ,本震前に変動が加速していたこともわかった.この加速はプレート境界が部分的に外れる,つまり固着域の一部がゆっくり滑ることによって説明できる.
本震直前に井戸水が涸れた,あるいは潮位異常があったという目撃証言も数多くある.研究者の多くからは疑いの目を向けられていた現象だったが.現地調査を進めるうちに井水涸れのメカニズムが次第に明らかになり,定量的評価と地殻の上下変動に結びつけることができた.この現象も上下変動の加速,つまり固着域のゆっくり滑りに起因している.
本震直前の異常現象は1854年安政南海地震の前にも目撃されており現象の再現性はある.これらの異常現象は南海地震の直前だけだったのか,直前でない時はどのくらいの頻度で異常現象は起きるのかも検証した.昭和南海地震以降現在に至るまで,同地震前に目撃されたような異常現象は見当たらない.
本書後半の12章以下は南海地震本震とそれ以降現在までの諸現象についてである.前半と合わせて南海地震の全過程が論じられる.前半で述べた南海地震前の井水涸れや海水位変化は,本震後はどうなったかを調べると共に,本震時の上下変動から推定した本震断層モデルも提案する.
上下変動については明治から令和までのおよそ120年間の時間変化を調べるが,近年の上下変動速度は非常に小さく,昭和南海地震前に加速するより前の変動速度に等しいことが明らかにされる.この事実は,現在は固着の外れは無いことを示している.いずれは,この固着が外れ地殻変動が加速し異常現象は現れるのだろうか.答えは必ずしもそうではない.南海地震前の異常現象は破壊の臨界状態を広域に形成しつつある準備過程であり,破壊のきっかけ(トリガー)になる地震とは別の現象だという新しい考えを紹介する.
地震活動については1923年から100年を概観する.静穏期と活動期があるのかどうかを検証すると共に,応力場とメカニズム解の矛盾点も指摘する.
次の南海地震が近づいてきており,政府からは南海地震に関する情報として地震発生確率や,臨時情報などが発表されている.それらについての解説と共に問題点や受け取り側の心構えも述べる.
観測網が充実し,リアルタイムで多量の観測データが得られるようになると,異常な現象は時々出現する.時には大きく,かつ頻繁になるかもしれない.南海地震は近づきつつあることはわかるが,それが南海地震発生のどのくらい手前にあるのか,いずれは判断せざるを得ない時が来る.前回の南海地震の前はどうだったのか.同じことが起こるとは限らないが,本書で述べる全過程が次の南海地震研究の参考に,そして備えになれば幸いである.
2025年 9月
梅田 康弘
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