自然科学書出版  近未来社
since 1992
 
岩盤破壊音の科学

まえがき

  私が(財)電力中央研究所に入所し,岩盤の研究を自分の職業としてはじめたころ,職場の大先輩から,「ものの破壊を相手に研究していれば食いはぐれることはない。」と言われたことがある。確かに,破壊の問題は工学の最重要課題のひとつである。例えば,1943年1月,波静かな港に停泊していたタンカーが突然真っ二つに折れてしまった,米国スケネクタディー号の事故,英国が世界に先駆けて開発した民間用の初のジェット旅客機が,1953年5月,1954年1月,4月と立て続けに空中爆発したコメット機の事故,また,わが国の著明な例としては,1985年8月,圧力隔壁が突然吹き飛んで群馬県御鷹巣山に墜落し520人の犠牲者を出した日航機の事故が挙げられる。これらの事故は,われわれにものの破壊の不可思議さと恐ろしさを思い知らせる。これらはいずれも,金属中に発生した微小な亀裂が静かに少しずつ進展し,ある日突然,取り返しのつかない大惨事となって我々の目の前に現われたものである。

 私が研究の対象としている岩盤の破壊についてみれば,1996年2月,20名の痛ましい犠牲者を出した北海道豊浜トンネルの崩壊事故や,市街地で突然大崩落が発生した栃木県宇都宮市の大谷石採掘跡の崩落などを挙げることができる。この大谷石採掘跡の崩落では,たまたま死傷者は出なかったが,口絵写真Aに見える空洞の真上の道を,崩落の直前に,集団登校の小学生10数人が通行していたという。

 こんにちでは「ダムは崩壊しないもの」と信じられているが,実際には第2次世界大戦後も,いくつかの大事故が発生している。例えば,1953年には,フランスのMalpassetダムで,基礎岩盤の破壊をきっかけとしてコンクリート・アーチダムが吹っ飛び,下流が氾濫して421人が死亡した。また,1963年には,イタリアのVaiontダムで,ダム湖の斜面で地滑りが発生し,巨大な量の岩盤が湖に飛び込み,その一部は勢い余って反対側の斜面に乗り上げるという事故が発生した。この事故は,ちょうど洗面器に勢いよく顔を突っ込むと水があふれるのと同じ原理で,湖の水がダムを越えて下流に一気に流れ込み,瞬く間に2,600人の人命を奪った。さらに,1976年にはアメリカのTetonダムで,ダム側部のコンクリートと岩盤の接触部で漏水が始まり,これが一気に拡大して多量の水が流出して10数名の死亡者が出ている。

 このように航空機や船舶はもちろん,岩盤崩落やダムの破壊,地滑りや土石流など,岩盤や斜面においてもその破壊がもたらす災害は規模が大きく,多くの人命を瞬時に奪い去ることがしばしばである。この意味で,技術者の責任は重大である。医者がひとりひとりの患者の命を救うために奔走するように,機械工学の技術者は航空機や船舶の破壊を防止し, 土木工学や地質工学の技術者は,岩盤や斜面の破壊を防止することにより,数百人,数千人規模の人命の喪失を未然に防ぐ役割を担っているのである。

 私は過去20年近くにわたり,岩盤の破壊音を測定することにより,岩盤の破壊の予知や予測を試みる,あるいは破壊のメカニズムを研究する仕事に携わってきた。
 ここでいう破壊音とは,材料の微小な破壊に伴って発生する “Acoustic Emission”,略してAEと総称される高周波の弾性波動のことである。割り箸を曲げていくとペキペキと音がしはじめ,そのうちバキッという大きな音とともに2つに折れてしまう。岩石でも割り箸の例と同じように,破壊に先立ち小さな音が発生し,大音響とともに大きな破壊が起こる。割り箸の音を聞いていれば2つに折れる時期が予想できるように,地下空洞や斜面,その他さまざまな岩盤構造物で破壊音を測定し,破壊の予知や予測を試みる,あるいは破壊のメカニズムを調べることが私の研究である。最も大きな岩盤破壊音は,地殻の岩石が破壊される地震に伴う地震動といえる。岩盤構造物で破壊音を測定することは,微小地震の観測をすることによってその地域の地震の発生メカニズムを解析したり,大地震の予知や予測を試みることとよく似ている。

 他方,破壊音の測定は,ガス・タンクの破壊の監視や,ロケットなどの耐圧容器の圧力試験,あるいは,工場の生産工程でのビットの刃こぼれの監視などで実用的に利用されている。岩盤の破壊に対しても,口絵写真Aに示した大谷石採掘場跡地の陥没では,その後の陥没の拡大を監視するために破壊音の観測が行われ,陥没時期と陥没場所の予測に成功している。また,北海道豊浜トンネルの事故の後には,再発防止策の一環として,破壊音の測定が真剣に検討されている。このように,岩盤破壊の監視に関して,本書で取り上げる破壊音の測定は,将来有望な「夢の技術」と言っても過言ではない。

 しかし一方で,破壊音の測定は10年以上前から新技術と言われながら実用化が進まず,いつまでも「新技術」の“新”がとれないままに推移してきているのも事実である。破壊音の測定は,基本的に振動の測定であり,土木工学や地質工学の多くの技術者にとってなじみの少ない測定であることが実用化の進まないひとつの原因ではないかと思われる。また,破壊音の測定をはじめるには,高額の測定器を使用する必要があり,リースするにしろ購入するにしろ,ある程度の知識や経験がなければ,なかなかAE測定の導入に踏み切れないのも事実であろう。

 すでに破壊音あるいはAEの測定一般に関しては,第1章の末尾に教科書として示したいくつかの概説書が出版されており,これらにはコンクリートや地盤を対象にしたすぐれた入門書や,応用例をまとめた書物も含まれている。その中であえて本書を執筆しようと思い至ったのは,土木工学や地質工学の技術者に,破壊音の測定をより身近に感じていただき,将来の有用な技術のひとつとして利用されんことを願ったからである。加えて,私のこれまでに得た知識や経験から何がしかの解決のヒントを見い出していただければ幸いである。

 私は,前述したように,(財)電力中央研究所に勤務していたこともあって,何度となく現場の第一線で働く技術者の方々と一緒に仕事をさせていただく機会があった。この経験から,第一線の技術者にとって,多忙な日常のなかで新しい技術を学び,それらを実際の仕事に反映させていくことが如何に大変なことであるかを多少なりとも理解しているつもりである。しかし一方で,実務の面から新技術の必要性を最も強く認識しているのも,現場に立つ第一線の技術者に他ならないことも事実である。したがって,本書が,多忙な日常のなかで新技術を理解・導入していかなければならないというディレンマを抱えている方々にとって,入りやすく分かりやすい“技術入門書”の役割を果たすことができれば,著者としてこれに優る喜びはない。

 本書では,第1章で岩盤破壊音の歴史と今後のさまざまな利用の可能性について述べる。第2章では,岩盤破壊音の測定方法について,ノイズへの対処や主要な情報の抽出方法にも触れながら,基礎から具体的に説明する。破壊の発生位置がわかることは,岩盤破壊音測定の大きな魅力のひとつであるが,第3章では,この震源決定法の具体的手順とその理論的背景について,わかりやすく説明する。本書で数式が乱舞するのはこの第3章だけである。しかし,数式に煩わされず読み進みたい方は,本章の第1節だけで震源決定法のおおよその原理は理解できるので,ここだけ読んで次の章に進まれることをお勧めする。第4章では,岩盤破壊音測定のもうひとつの魅力である破壊メカニズムの解析法について述べる。第5章以下では,私自身の経験を中心に,岩盤破壊音の具体的な測定事例を紹介する。すなわち,第5章では室内と現場における水圧破砕の測定について,第6章では岩石と岩盤の加熱実験での測定について,第7章では地下発電所空洞の監視への利用について,測定事例を紹介する。

 なお本書では,さらに深く追究されたい読者のために,できるだけ多くの参考文献を各章末尾に掲げるように努めたので,必要に応じて参考にされたい。

 1999年1月

著  者