自然科学書出版  近未来社
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大阪府陸産貝類誌

まえがき

 大阪府は,古来より人口が集中し,戦前には商都・煙の都と云われ,戦後は戦火による住宅不足に加え都市部への人口集中による住宅需要の急増から,千里・泉北両ニュータウン等全国に先駆けた大規模宅地が造成され,周辺の丘陵地にも開発の手が急速に広がっていった。
 北摂山系や葛城山系など周辺部にはまだ自然が多く残っているものの,開発の進んだ都市と云うイメージが強く,陸産貝類に関して大阪は余り注目されてこなかったように思われる。
 著者は,湊 宏博士のお勧めもあって,1994年から5年間に行われた,大阪府種の多様性調査に携って府下のほぼ全域をおよそ3年余りかけて集中的に調査を行った。
 府下を駆け回って調査したところでは丘陵地や平地部でも想像した以上に陸産貝類が生存していることが分かった。街中の枯れ木一本に棲息する種群をみて,極めて強い耐性を持つことを知り,その生命力の強さに感銘を受けた。ある場所では周囲を囲む竹林が皆伐されて神社林が急速に乾燥したためか,大型のマイマイ類の死殻が散乱する場面に出くわして自然の脆さに驚いた。
 都市化が極めて進んだ大阪府ではあるが,今からでも適切な措置が講じられるならば,現在生き残っている種群の保全はまだ間に合うのではないだろうか,このような思いを胸に長年にわたって収集してきた資料を併せて一冊に纏めてみようと思い立ったのである。
 その内容は不充分ながら,本書から陸産貝類を視点としたある時間軸で切り取られた大阪府の姿を垣間見ることによって,著者が嘗てそうであったように,若い人達に少しでも自然に親しむ気持が生じ,自然の大切さに想いを馳せるきっかけになれば幸いである。さらに,大阪の自然を保全するための資料として本書が活用されるならば,それは著者にとって望外の幸せでもある。
 また,思いも寄らなかったクチミゾガイ科の亜種を発見し,湊 宏博士と共著で記載することができたことなど,まことに感動的な3年間であった。
 この新亜種には,亡き妻 玲子を偲んで亜種名をreikoaeと命名し,和名は,分布域からすると厳密には”セッツ”が妥当かもしれないが,敢えて大阪に拘ってナニワクチミゾガイとした。
 “新種が見付かったらお前の名前をつけてやるよ”と冗談交じりに云っていたあの頃から既に,二十年余の時間が流れた。見付けたのは“新種”ではなかったが,その昔の冗談が現実となった今,玲子が逝ってからもう十年の時が過ぎていってしまった。
 標本を机の上に広げルーペで観察し,あるいは採集してきた生体の撮影をしている私の姿に慣れ親しんだ孫娘達の口からカタツムリの名前が折りに触れて飛び出すのも,砂場で拾い集めた貝殻を大切そうに持ち帰って来るのも,門前の小僧の何とやらであろうか。

 本書を纏めるに当り,極めてご多忙の中丁寧な御指導を頂いた上島 励博士,貴重な資料を御恵与下さった千葉県立中央博物館の黒住耐二氏,徳島県立博物館の田辺 力博士をはじめとする方々,比較のための標本をお送り下さりかつ貴重な御意見をお寄せ頂いた矢野重文氏,出口直樹氏をはじめとするすべての方々に深い感謝を捧げる。
 本書の出版にあたって御苦労をかけかつ有用なアドバイスの数々を頂いた,言わば本書の生みの親である,近未来社代表深川昌弘氏に深く感謝する。
 最後に,三十数年前著者が初めて手紙を差し上げて以来,現在に至る長い年月の間,変わることなく様々に御指導下さったこと,本書を著す直接の動機となった大阪府の陸産貝類調査にお誘いくださったこと,また御著書の引用を快諾して下さったこと,さらには発刊に寄せて身に余る御言葉を賜った,湊 宏博士に敬意と深い感謝を捧げる。

2001年9月 日野の里にて
松村 勲