自然科学書出版  近未来社
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地質・砂防・土木技術者/研究者のための
土石流の機構と対策

まえがき

 直径数メートルにも及ぶ巨石群を先頭に押し立てて,轟音をとどろかせ,ときに火花を散らし,地面を震わせながら突如襲ってくる土石流。それは非常に恐ろしい光景ですが,同時に,まさに自然の驚異であって,なぜそのような現象が起こりえるのかといった好奇心をそそるのに十分な魅力を備えた研究材料であると言えます。このような現象が存在すること自体は古くから知られ,各地で「おうじゃれ」,「蛇抜け(じゃぬけ)」,「山しお」,「鉄砲水」,「山津波」といった名前で呼ばれて,恐ろしいものとして語りつがれて来ました。海外においても,比較的詳細な目撃記録を記載した文献がいくつか存在していましたが,私が京都大学防災研究所に奉職した1965年当時は,土石流の実態はよく知られておらず,「幻の災害」と呼ばれている状況で,国内外を通じて本格的な研究は皆無と言っても過言でない状態でありました。

 私は1965年に初めて災害調査を行いました。福井・岐阜県境で生じた集中豪雨による「奥越豪雨災害」です。この調査において,私は,木造の家屋群が二階まで直径数十センチの石礫や土砂に埋まってはいても,建物自体はさほどの損傷の無い状態で残っているのを見て,なぜ流れたりひしゃげたりしないで建っていられたのだろうかという単純な疑問を抱きました。また,1968年には,防災研究所の穂高砂防観測所が試験流域としている白水谷に土石流が発生しました。私はその土石流の通過痕跡を見て強く印象づけられました。土石流は広い河原の一部分に流路を形成して流下したのですが,その流心部にはほとんど粗大な石が無いのに,両側には一段高く,巨石が整然と,あたかも人工的に並べられたかのように,堤防状に並んでいたのです。なぜこのようなことが起こったのか大変不思議に思いました。

 この土石流を発生させたのと同じ豪雨で,「飛騨川バス転落事件」が発生し,104名の乗客が犠牲となりました。行く手の土砂崩れによって停車していた2台のバスが,横の沢から突出してきた土石流に流されて,飛騨川へ転落したのです。私はこの調査を行い,土石流の事前発生予知が非常に重要であることを痛感しました。さらに1971年には,兵庫県相生市に集中豪雨が起こり,道路の山側で発生した小規模崩壊が土石流となって通りがかったバスを襲い,バスが谷へ転落するという,飛騨川の場合と同様の事故が起こりました。私がこの場合に注目した事柄は,崩壊土あるいは土石流が通過した山側斜面の表面に,草木が,なぎ倒されてはいますが,そのまま残っていたことや,バスが遭難した場所の道路舗装面がほとんど傷んでいないという事実です。それから約1ヶ月後に,小豆島の一渓流で土石流が発生しました。私は現場を土石流発生地点から災害発生地点まで,詳細に調査しました。この調査の主目的は,当該渓流の源流部を横過する道路の盛土が崩れたことが土石流発生の原因なのか,盛土部より下流の沢で土石流が発生したために,いわば引きずられるようにして盛土が崩れたのかというこ とでした。渓床はほとんど岩盤が露出した状態で,以前から言われているように,土石流は,盛土材料もろとも,渓床の土砂を巻き込んで雪だるま式に成長しながら流下したようにも見えました。調査の結論は差し置き,この土石流のように,通過経路がひどく侵食される場合と,相生の場合のように,ほとんど侵食されない場合のあることがわかり興味を覚えました。同時に,肝心の土石流発生機構や流下・堆積機構に関しては,分からないことだらけであることを学びました。このような経験から,私は土石流研究を本格的にやりたいと強く思うようになりましたが,当時は,河川における洪水流の挙動に関する研究を主要課題としていたため,本格的に土石流研究をやり出したのは1975年以降のことです。

 上述のように,私の土石流研究は,主として,その現象の奇妙とも思える挙動に興味を覚えたことから始まっていますので,先ずは,土石流現象の物理機構を解明することに主眼を置くことになりました。しかし,研究対象は災害と直結している上に,私が防災研究所という機関に属していることからの当然の帰結として,現象の物理機構の解明を通じて現象をモデル化し,そのモデルによって,自然現象としての土石流の挙動のみならず,災害発生の予測と災害防除対策の評価・立案を可能にすることを指向した研究となっています。このことには,国の河川災害に対する方針転換による,実際上の要請とも無縁ではありません。都市の発展に治水投資が追いつかず,都市水害が大きな課題になってきたのは1960年代後半から1970年代でありました。1977年「総合治水対策」が発足し,従来の構造物によるハード対策一辺倒から,面的なソフト対策を含んだ総合的な対策が打ち出されたのです。その一環として,土石流危険渓流を指定して,警戒・避難によって対応することが決められました。そのような中で,私たちが提案した土石流危険渓流の考え方が生かされ,避難基準になる降雨の考え方や土石流危 険範囲の予測法の研究といった,むしろ実際上の要請に追いつくことを意識した研究にも力を入れることになりました。

 ここで,災害対策を指向した研究の意義についてもう少し述べることにします。わが国の自然災害による死者数の時代的推移を見てみますと,敗戦直後から1955年までは,年間2,000人を超えていましたが,年々減少し,1983年から1993年の十年間では,年平均168人となり,その後は,阪神・淡路大震災を除けば,年平均50人以下となっています。このような大幅な死者数の減少には,大河川の改修が進んで,大規模・激甚氾濫が少なくなったことが大きく貢献しています。しかし,一方では,中小河川の整備が遅れている上に,都市周辺の山間・山麓部に居住地が拡がって,土砂災害の危険度がむしろ増大する傾向があります。ちなみに,1967年から1997年の31年間における自然災害による死者・行方不明者数の合計5,666人(阪神・淡路大震災による6,268人は除外)の被災原因内訳では,崖くずれが29%,土石流・地すべりが25%で,土砂災害による犠牲者が大半を占めています。このような傾向は,特に近年に至って著しく,例えば,1982年の長崎豪雨災害では,全死者299人の75%が,1983年の山陰豪雨災害では121人中の90%が土砂災害の犠牲者になっています。最近においても,1996年の蒲原沢土石 流災害(死者14人),1997年の針原川土石流災害(死者21人),1999年の広島災害(死者24人),2003年の九州とくに水俣市の土石流災害(死者19人)など,顕著な災害はほとんどが土砂災害となっています。

 上記のような事情は,わが国が自然的・社会的に背負っている宿命のようなもので,現在,土砂災害危険箇所として,急傾斜崖くずれ危険地として289,739箇所,地すべり危険地11,288箇所,土石流危険渓流103,863が指定されています。このような危険地の指定は,当初,土砂災害を被ると予想される範囲内に5戸以上の世帯が居住しているか,学校や役場等の公共施設が立地している場所に限られていました。このような基準の下で指定された土砂災害危険箇所のうち,土石流危険渓流について,指定箇所数の推移を見てみますと,1977年(最初);62,272, 1986年;70,434, 1993年;79,318, 2002年;89,518というように,年々増加しています。これには調査の見直しによる増加も含まれていますが,先にも述べたように,危険地域へ人間の方から入って行く傾向が抑制されていないという事実による分がほとんどです。

 危険地の開発を事前に食い止めることの重要性は以前から指摘されてきたところですが,それを実行する後ろ盾となる法律がなく,言わば,開発のし放題の状況が続いて来ました。1999年の広島災害を契機として,危険地の開発を規制すべく,「土砂災害防止法」(正式名称:土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律)が2000年5月から施行されました。これは,土砂災害の危険区域を予め指定し,区域内の開発を規制するとともに,すでに危険地に居住している場合には,その移転を促すという画期的な内容をもっています。これに呼応して,従来5戸以上が立地しているという基準で指定(危険箇所I)されていたのを,5戸以下にも拡げて指定(危険箇所II)するとともに,現在のところ,家屋等は立地していないけれども,そこが開発されると災害が起こる可能性のある区域(危険箇所III)についても合わせて指定することになり,2002年には土石流危険渓流Iに加えて,危険渓流IIおよびIIIが94,345追加指定されました。このような膨大な数の危険渓流に対して,十分安全なように,砂防堰堤などの構造物的対策を講ずることは,経費的にも時間的にも無理があることが明ら かですから,開発規制や事前避難といったソフト対策が重要であることが理解されます。それだからこそ,土砂災害防止法が施行されることになったと言えます。

 土砂災害防止法は,土砂災害の危険性がある区域を法的に指定して,開発行為等の私権に関わる規制を行うのですから,その区域の線引きには高い精度が要求されます。このような区域指定を行うことがある程度可能な段階にまで,土石流等の研究が進んだから実施できるとも言えると思いますが,土石流等の予測技術の高度化に対する実用上の要請にはまことに厳しいものがあります。土石流研究の進展が急務である所以です。

 土石流等の土砂災害の重要性は,何も日本に限ったことではありません。むしろさらに厳しい状態に曝されている国が多数あります。中国では毎年100以上の県や市が土石流災害を受けており,被害額が20億元以上,死者数が100人以上に達しています。例えば,2002年には水害によって1,795人が死亡しましたが,その内土石流等の土砂災害による死亡者は921人に達しています。南米コロンビアでは1985年のネバド・デル・ルイス火山噴火に伴う泥流災害で2万人以上の人命が失われ,一つの町が消滅しました。同じくベネズエラでは1999年にカリブ海沿岸で大規模土石流災害があり,2万人以上が命を奪われています。台湾では2001年に台風に伴う豪雨によって,中央山脈から東岸にかけて土石流が多発し,214人が死亡しました。その他,ネパール,インドネシア,フィリピン,イタリア,スイス,フランス等でも顕著に土石流災害が発生しています。土石流研究の発展は,わが国のみならず,世界の安寧に寄与することができるのです。

 本書は,最初に土石流とはどのような性質を持った現象であるのか,一口に土石流と言っても,実は種々のものに分類されることを示します。次に,それらの土石流の流動機構を,各種の取り扱いの長所・短所を明確にしながら説明します。その後,章を追って,土石流の各種の発生・発達過程,発達した土石流の流動特性,堆積過程と堆積地形について,力学的な取り扱い方法を詳細に説明します。ここまでが,言わば,土石流力学の基礎理論です。そして,6章では,それぞれの基礎理論の応用として,私が関わった災害調査のいくつかを取り上げて,数値計算モデルによる復元を試みます。これによって,実際現象の具体的な取り扱い方が理解できるものと思います。最後に,土石流災害対策として一般的になっている砂防構造物を取り上げて,その性能設計や効果の評価問題を説明し,土石流危険渓流や土石流発生予知といったソフト対策についても,基礎理論に根ざした取り扱いを行っています。土石流の物理機構の定量的解明を通して予知・予測を可能にし,対策に関しても,単なる経験に準拠して設計するのではなく,基本的機構を反映した性能評価を可能にしようとの立場上,数式が数多く出 てくることになりました。このことが本書をとっつき難いものにするのではないかとおそれていますが,数式部分を適当に読み流しても,土石流を理解し,研究の現状と将来のニーズを把握することはある程度可能であると思います。

 本書は,国内外の研究を網羅的に渉猟してレビューすることを目的としたものではありません。私の土石流研究の集大成としたいとの意図で書かれたもので,議論の展開上,過去の重要な研究への言及が抜け落ちている部分が多々あると思いますが,ご容赦お願いします。また,第1章で,類似の現象として,火砕流や雪崩についても述べていますが,ここでは紙幅の都合と単行本としての纏まりの面から割愛しました。機会があれば,これらについても述べてみたいと思っています。

 本書は私の単著となっていますが,研究の大半はもちろん単独で行われたものではありません。参考文献として名前が挙がっている共同研究者をはじめ,数多くの方々に負うところが大きいことは言うまでもありません。この機会に深甚の感謝を捧げたいと思います。

 2004年春
高橋 保